数年前までは斜陽産業のように見られてきた日本の映画界だが、ここ2、3年は次々とヒット作が生まれており、活気づいている。カンヌ、ヴェネチアなど海外の映画祭での日本映画ブームやハリウッドによるリメイク、あるいは国内では『ハウルの城』や『世界の中心で、愛をさけぶ』などが歴代の興行収入ランキングを塗り替えるといったことが、それを如実にあらわしている。2004年の邦画興行収入は前年比117.8%という大幅な伸びになった(社団法人日本映画製作者連盟調べ)。
こうして映画産業が活気づいてくるということは、“映像作品を有料で鑑賞することが当然である”という風潮につながってくる。もちろん、映画館での興行収入という点で見れば、これまでもハリウッド映画を中心に数多くのヒット作が生まれていた。だが、筆者はこの「日本映画がヒットし始めた」という点に注目したいのである。
ハリウッド映画の場合、いくらヒットした作品でも、しょせんは放映権を買ってきて流すだけである。ハリウッドからみれば、日本市場の大きさは非常に魅力的なものかもしれないが、せっかくの大きな市場ならば、国内で制作した作品が売れた方が良いことは間違いないだろう。
筆者はこれを単なるナショナリズムで言っているのではない。日本で作られた映像作品の中にも、お金を払って見るだけの価値のあるものがたくさんあるという意識が浸透し、広がっていくことに意義があると考えている。まして日本映画の大半は、ハリウッドの超大作のように巨額の資金を投入して作られたものではない。シネコンのスタイルが一般化したこともあり、小さく作って、それが口コミなどによって話題作となり、結果として大きな興行収入を記録するということは、日本の映画産業が今後も大きく伸びていく上では非常に良い流れだといえるだろう。
こうした流れができた背景には、テレビ局と映画業界の協調関係が、ここに来て緊密なものになり、お互いの持つノウハウを共有できるようになったという事情がある。「今さら」と思う方もあるだろうが、テレビ局と映画産業の歴史の中では、両者が必ずしも良好なパートーナーシップを組めなかった時期が長く続いた。
テレビ放送の開始当初、まだ番組の制作力が不十分であった時期に、映画産業側はいわゆる5社協定を結び、俳優や脚本家などを囲い込んでテレビ局に対する協力を拒んだ。そのため、テレビ局各社は自力で番組制作力を高めざるを得なくなったわけだが、その努力が実を結ぶのと同時に、テレビ受像機が想像以上の速さで各家庭に普及していった。それまでは映像作品を楽しむためには映画館に行かなければならなかったのが、家庭に居ながらにして楽しむことができるようになった利便性が評価されたのである。
その結果として、テレビ局の力は日を追って強くなり、逆に映画産業側は少しずつ“わざわざ映画館までお客の足を運ばせること”が難しくなった。そして気がついた時には、メディアとしての力が、完全にテレビに上回られることになってしまったのである。
テレビ放送は、NHKはもちろんのこと、民放各社もネットワーク系列を形成することにより、全国的な展開を実現した。映画館の姿が消え始める中で、テレビは一家に2台、3台というペースで普及していったのである。それに合わせて、映像産業においてもテレビ放送が中核を占めるようになっていった。ハリウッド映画はともかく、国産の映像作品については、テレビを見ている方が面白いという認識が広く受け入れられている時代がここしばらく続いていたのである。
そういう意味で、ここ数年の日本映画の復興は、わが国の映像ソフトのビジネス展開を多様化させるものとして大いに評価できるのだ。いずれはテレビで放送することが分かっていても、早く見たいがために映画館に足を運ぶ人が増えたということは、映画産業を潤す以上の効果が期待できるからである。
テレビと映画の力関係が大きく変わってしまった結果として、わが国では、映像作品を楽しむために対価を支払う必要があるという意識が後退してしまった。
わが国の地上波放送の充実振りは、世界でも類を見ないほどのものである。そのおかげで、わが国では「テレビは無料である」という認識が一般化してしまった。WOWOWやスカパー!のような有料放送が加入者増に苦労しているのは、発足当初からは随分変わってきたとは言え、相変らずテレビ放送を視聴することに対価を支払う文化が醸成されていないことが原因だと言われている。
米国の場合は、有料放送の視聴比率が5割を超えており、テレビ放送の視聴に対価を支払うことへの抵抗感がないことは明らかだ。だからこそ、ハリウッド特有のウインドウ展開ビジネスが成り立っているのである。すなわち、早く見たい人は、それだけ多くの対価を支払わなければならないというモデルである。このモデルは非常に合理的なものだ。
日本でも有料放送が着実に市民権を得てきているとは言え、米国型のウインドウ展開を実現するのは難しい。テレビ局の発足当初に映画産業の協力を得られなかったこともあって、テレビ局は自ら制作力を強めていくことになった。今では、わが国で最大の映像制作プロダクションは、間違いなく地上波局である。その結果、どんなに面白い作品であっても、無料で視聴できる媒体でファーストランが行われる形になっている。
有料チャンネルの中には、地上波で過去に流した作品を見られることを売り物にしているところも多々見られる。これは、最初に無料で視聴できたものを、後から有料であっても視聴したいという人が多いことを示している。地上波にはそれだけの作品が作れるのであり、地上波と有料放送が競争したところで、メディアの力関係として米国のように有料放送の方が5割以上のシェアを取ることが難しいだろう。
スカパー!やWOWOWの直接受信、ケーブルテレビ経由の受信をすべて合わせても、わが国の有料放送視聴比率は米国の半分以下の状況にある。にもかかわらず、既にピークに達したと言い切る論者も出ているくらいだ。何らかの工夫をしないことには、わが国の有料放送市場の発展には相当な時間がかかるように思われてしまうのも仕方がないだろう。
米国型のウインドウ戦略を参考にするならば、面白い映像作品のファーストランは有料チャンネルで放送されるべきだ――という結論に達する。ただ、面白い映像作品を制作するには、資金面、人材面の問題が大いに関係してくる。今はそうした資源が地上波局に集中してしまっている形なので、有料チャンネルをファーストランとする作品を用意するのには時間がかかりそうである。
スカパー!もWOWOWもオリジナルの作品の制作に力を入れている。有料チャンネル側で作るのであれば、ファーストランを有料チャンネルで行えるからである。有料放送市場の拡大に向けては、非常に意義のある試みだが、映像ソフトを無料で視聴することに慣れ切ってしまっている文化を変えるだけのインパクトのある作品を数多く用意するのは、並大抵のことではない。
こうした現実があるだけに、日本映画が再び活気づいてきたという事実が大きな意味を持つのである。映画の場合はファーストランが映画館であることに抵抗感を持つ人はいない。これまでは、ハリウッド映画がわが国の映画興行を支えてきた面が強かったため、映画館に足を運ぶ人たちの意識自体が、日本の映像作品とハリウッド映画を自然と区別して考えてしまっていた部分があった。
しかし、日本映画でも面白い作品が次々と出てくるようになれば、ファーストランは有料で当たり前だと考えられるようになっていくだろう。その部分で意識改革が進んでいけば、有料チャンネル側がソフトを取りそろえる場合でも、相応のコストがかけられるようになるし、それを回収する方法も多様化していくようになる。
「面白い作品を早く見たければ、それだけの対価を支払う必要がある」という米国型のモデルも受け入れられやすくなるはずである。もちろん、有料チャンネル側が提供するソフトは映画に限ったことではない。魅力あるソフトであれば、どのようなジャンルのものであっても、ファーストランを有料で流すことは可能である。
日本映画の再興が有料放送市場の拡大にも寄与していく、という構図が実際のこととなるのをぜひとも期待したいものだ。大きな市場になれば必ずそこに天才的なクリエーターが登場してくる。そういう好循環を生み出す環境は整いつつある、と筆者は見ている。今後の展開が楽しみだ。
西正氏は放送・通信関係のコンサルタント。銀行系シンクタンク・日本総研メディア研究センター所長を経て、(株)オフィスNを起業独立。独自の視点から放送・通信業界を鋭く斬りとり、さまざまな媒体で情報発信を行っている。近著に、「モバイル放送の挑戦」(インターフィールド)、「放送業界大再編」(日刊工業新聞社)、「どうなる業界再編!放送vs通信vs電力」(日経BP社)、「メディアの黙示録」(角川書店)。
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