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コラム
» 2005年12月19日 11時00分 公開

コンシューマービデオカメラの表現はどこを目指すべきか小寺信良(2/3 ページ)

[小寺信良,ITmedia]

手本を間違えたか

 デジカメがフィルムカメラのあり方を指向した時点で、ユーザーもメーカーも、意識と市場の変革が行なわれたことはすでに述べた。ではコンシューマーのビデオカメラというのは、これまで何を目指してきたのか。

 答えは、どうも放送用ビデオカメラではないかと思う。デジタル記録のDVカメラの誕生により、コンシューマーのビデオカメラは、これまでのアナログ記録に比べて格段に画質がアップした。放送コンテンツ制作の中にも、DVカメラは徐々に取り入れられるようになっていった。それがゆえに、コンシューマーのビデオカメラの目標は、放送用ビデオカメラに匹敵する画質を目指したものと思われる。

 動画が撮影できるカメラとしては、映画撮影で使われるフィルムカメラのほうが歴史が長いわけだが、あとで生まれたビデオカメラというのは、それを模したものではない。むしろフィルムカメラにはない表現と利便性を模索したものである。

 つまり現像が不要で、そのまま放送に乗せられることが大きかった。のちにビデオテープへ記録することができるようになったが、元々はカメラで捉えた映像がそのまますぐに電波に乗せられるというところから、当然放送用ビデオカメラは、よりリアリティを追求する方向へ進化することとなったわけである。

 その最たる要素が、筆者はフレームレートではないかと思っている。放送は1秒30コマだと思っている人も多いと思うが、実際にはインターレースなので、時間的な分解能という意味では1秒間に60コマである。これによって表現できるのは、まるでその現場にいるかのような生々しい動きだ。

 そしてこれは、遠く離れた場所で見ていても、今現在行なわれている現実であると認識させる点で、絶大な効果を発揮する。そして映像はウソをつかない、と思わせるだけのリアリティを持たせるためには、この1/60という時間解像度は、必要条件なのである。

 だがコンシューマーのビデオカメラで、それだけの時間的分解能は本当に必要だろうか。放送で求められる映像と、コンシューマーで求められる映像では、自ずと目的が違う。放送は伝えるためであり、コンシューマーはそのほとんどが、思い出を残すためであろう。

 思い出とはすなわち、脳の記憶である。脳の中にもビデオカメラのようにそのシーンが刻まれ、時間軸的にリニアではないが、状況を再生することができる。だがその記憶の中の映像は、どれほどリアルだろうか。

 ビデオカメラで撮影することが、思い出の外部記憶であるとするならば、その映像は極力脳内の映像と同じであることが望ましいと考えるのは、自然なことである。そしてそのアプローチは、まず「色」から始まっている。

 おそらく最初にそのようなことを始めたのはデジカメだと思うが、ビデオカメラでも最近は「記憶色」の表現に執心している。これはつまり、ビデオテープに記録された色が例え真実だったとしても、記憶の中では違う色になっている、というところに立脚している。早い話、あとでビデオを見直すと、「あれ、これこんな色だっけ?」と思う頻度がそれだけ多かったということであろう。

 記憶の中の色がどのように変化するのかは、まだすべてが解明されているわけではない。曖昧な色はそれに近い色に単純化されるのかもしれないし、印象に残った色だけ発色が増すのかもしれない。だがこれらの謎は、地道な実験と研究によって、徐々に解明されていくだろう。

 記憶に近づけるというアプローチの中で、これまでまったくアンタッチャブルであったのが、時間的解像度、つまり秒何コマという部分だ。静止画と動画の決定的な違いは、時間軸があるかどうかなわけだが、ビデオカメラはこの時間軸表現に関して、これまでまったく手を打ってこなかった。

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