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男は本当にメカメカしいものが好きなのか小寺信良(1/3 ページ)

» 2006年02月13日 10時24分 公開
[小寺信良,ITmedia]

 今から約24〜25年前、筆者は受験生として始めて東京の地を踏んだ。そのときに、どうしてこっち(東京)の女の子はどこに行っても揃いも揃ってチェックのスカートに紺のハイソックス、そしてデッキシューズを履いているのか、とても不思議だった。

 これはもしかしてオレが田舎者だから知らないだけで、東京全体にまたがる日大のような巨大組織の高校があって、そこの制服なのか? と本気で思ったものだ。入学が決まって改めて上京したときに、クラスメートの女の子らにその疑問をぶつけたら、「あれはハマトラといって流行なのだ」と笑われたのを覚えている。

 そのとき、流行というのはものすごい威力を持つものだなと始めて体感した。筆者が育ったような田舎では、いくら流行っているとは言っても、すれ違う人ほとんどが同じ格好というような状況は、まず考えられなかったのである。

 70年代から80年代初期の、都市部の個性や流行とは、こういった形を取っていた。

男はなにが好きなのか

 仕事柄、AV機器の新製品発表会や内覧会に呼ばれることが多い。そのときに女性の広報やマーケティング担当の方からよく聴かれるのが、「男性はもうちょっとメカメカしたデザインを好まれますけど」というセリフである。

 だが本当にそうだろうか。筆者ら男性は、本当にメカメカしいデザインが好きなのだろうか。

 もっともこれは、何を以てメカメカしいかという定義にもよるだろう。これは筆者のイメージだが、メカメカしいと言われて想像するのは、デザインが直線的で角張っており、ボタンなどギザギザしたパーツがいっぱい付いているようなものだ。具体的な製品を思い浮かべてみると、過去に見た製品の中では、コニカミノルタのDiMAGE7あたりは相当メカメカしい感じを受ける。

 確かに男は、武器になりそうなほど角張ったものでも、その存在を容認することができる。大工道具売り場で妙に心ときめいたり、電動ノコギリの歯を指先でツンツンしてみたい思いにとらわれる衝動は、なにか遺伝子内に深く染みこんだ本能のようなものが発動しているような気がしないでもない。

 だが日常的にそういうものを好むかと言われれば、すべてのものに対してそういう気持ちは持ち合わせない。遺伝子とか本能とかそういうものに照らし合わせるとするならば、男とはメカメカしい云々ではなく、常に新しいものが好き、という感覚の方が強い生き物というべきであろう。

 これは世の中的に新しいものということではなく、自分にとって目新しいものを好む、という感情だ。「女房と畳は新しい方がいい」などという言い方は今どき女性にこっぴどく叱られるわけだが、自分の遺伝子を不特定多数のメスに広くばらまくことによって次世代へ残すという、オス本来のバカのように単純な使命に素直に従うならば、男とって目新しいものが好きという感情の萌芽は、自然なことなのである。

 そして男の物欲とは、基本的にこの新しいものが好きという感覚に左右されている。丸いものばかりが流行っていたら角張ったもの、角張ったものが流行っていたら丸いもの、といった具合に流行が常にゆり戻すのは、目新しいものを求める以上、当然起こりうる回帰である。

 ビデオやオーディオなどの世界は、だいたいが男相手の商売である。モノを作るのが男であれば、男が欲しがるようなものを作るのは、そう難しくはない。変に市場調査なんかして、性別年齢別データなどに頼るから変なほうに舵取りしてしまうのだ。もっと単純に自分が欲しいモノを作ればいいのだし、我々男はそういう「男の本能、魂のシャウト」みたいな製品にガッツリ惚れるのである。

 その一方で「女性層を狙ってみました」という製品は、だいたい直線を廃したオーガニックなデザインで出てくる。しかし男が「女性はこういうモノが好きなはずだ」と思って作ったものは、大抵上手く行かない。大筋では合っているにしても、根底の部分で何かを大きくハズしているのだろう。これは冒頭の例のように、女性が男が好む傾向を読み間違うことと同じである。

 もっともこのようなお互いの思惑のすれ違いがあるからこそ、男女の関係は複雑で機微に富んだものになるのであり、筆者はなにも性差を無くそうなどと思っているわけではない。

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