映画やテレビ番組の中には、放送(上映)禁止となってしまい、陽の目を見なくなった作品が非常に多い。需要が無いために消えていく作品はともかく、再放送、再上映、パッケージ化される際に、作品に含まれる不適切な表現や差別用語が問題視された結果として視聴不可能となってしまったものについては、何とか健全な形で視聴できる機会を復活できないものだろうか。
不適切な表現や差別用語は時間の経過とともに増えることはあっても、減ることは考えにくい。ほんの数年前まで使われていた「精神分裂病」という病名を今は「統合失調症」と呼ばなければいけない。そう決められる以前に作られた作品の中では、「精神分裂病」という病名が使われていても問題はなかったのが、今は再放送が検討される際に放送を見送らざるを得なくなる。
放送というメディアで差別用語を使ってはならないという考え方は正しい。地上波放送はもちろんのこと、放送というサービスの公共性や影響力の大きさを考えると、不適切な表現や差別用語の使用が制限されるのは当然のことである。
そうした作品の大半は差別を助長することを目的に作られているわけではないが、不適切な表現や差別用語は、それを受け止める側の心情に配慮しなければならない。そういう意味では、たとえ名作と呼ばれる作品であっても、放送・上映が禁止とされることはやむを得ないことである。
有料放送ならば対価を支払って契約した上で見るのだから、視聴者としても不適切な表現や差別用語が使われることに対して了解していると考えるのも早計である。作品ごとに対価を支払うペイ・パー・ビューならばともかく、チャンネルベースでの契約でしかない有料放送では、そこで放送される全ての番組で使われる表現・用語に同意しているとみなすことは難しい。
ビデオやDVD等のパッケージメディアであっても、同様の理由で制約を受けることになる。映画で映倫による指定がなされるのと同様に、ビデオ、DVDにも日本ビデオ倫理協会による審査がなされ、年齢制限などが設定される。だが、販売やレンタルの現場において、どこまで制約を守ることができるかといった効果は疑問視されている。
そのために、放送(上映)禁止となった作品の中には、ビデオが廃盤とされ、DVDが発売されなくなるなど、パッケージメディアとして視聴する道も閉ざされてしまうものがある。
有料放送やパッケージメディアでは、不適切な表現や差別用語が使われていても、その度合いが比較的軽微であると思われる作品については、作品の前後に断りの字幕スーパーを入れ、表現や用語に問題はあるものの原作者の製作意図を尊重して、敢えて修正等を加えずに視聴できるようにしてある作品もある。
しかしながら、そうした字幕スーパーを入れて対応できる作品は意外と限られている。どちらかと言えば、お蔵入りになってしまう作品が増えているのが現状である。
作品としての出来が素晴らしく、内容的にも決して差別などを助長するよう描かれたものでないことが明らかであっても、あまりにオープンに公開してしまうことで、新たな差別などを生む契機となることが懸念されるのであろう。
それだけに、一定の視聴年齢制限を厳格に守るのと同時に、あくまでも視聴を了解する意思を持つ人だけが見られる仕組みを担保することによって、視聴することができる環境を整えるだけの価値がある作品については、死蔵させることなく生かしていく道を模索していくことには意義があると思われる。
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