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コラム
» 2008年03月03日 12時00分 公開

正直、テレビはもうダメかもしれん小寺信良(2/3 ページ)

[小寺信良,ITmedia]

テレビ局の著作権意識

 ではなぜ、番組の制作・著作のクレジットが、放送局名義になっているのだろうか。その実情は、総務省・情報通信審議会の第33回「デジタル・コンテンツの流通の促進等に関する検討委員会」(デジコン委員会)という公の場で明らかになった。

 番組二次利用に関する窓口権に関する議論の中で、日本映像事業協同組合 理事長の澤田隆治氏が、「最近では放送局自身が制作子会社を作り、そこと契約をするため、実務を担当する制作プロダクションが派遣扱い(孫請け)となってしまって、著作権が放送局の制作子会社にしか残らない」と発言した。

 その反論としてフジテレビジョン デジタルコンテンツ局 局次長の佐藤信彦氏が、「制作著作はリスクを負った人が持つのが妥当で、リスクが負えないのならばどこかと一緒にやるしかない。これは制作会社の自助努力の範囲内だ」と述べた。ここまではまだ妥当だが、その後「著作権では本来、制作費を全額負担している場合は、著作権は制作費を負担する側にあるのが普通である」と発言した。

 この発言趣旨は、番組制作に限らず、コンテンツ制作の現場で常につきまとう、根の深い問題である。「著作権はカネを出したヤツのもの」という意味であり、テレビ局は番組制作費を後払いで全額負担している。そして事実そのようにクレジットされているということだからである。

 これは、コンテンツが一次利用しかしない場合は、観察的事実として成り立つ。つまり1度使って使い捨てなので、制作したものの権利は、事実上買い取りになってしまうからである。まあこうした慣習が長く続いたおかげで、今二次利用でややこしいことになっているわけだが。

 このやりとりを受けてデジコン委員会の主査代理 大山永昭氏が、オブザーバーとして出席していた文化庁著作物流通促進室長の川瀬真氏に意見を求めた。川瀬氏は「著作権法上は、映画の場合は映画制作者が著作権を持つ。映画制作者とは、責任と発意を有するものとなって制作する者であり、映画では監督に相当する。放送の場合は映画とは異なるので、それぞれの実態に即して判断するとしか言えない」と述べた。

 この意見は一見正しいように見えるが、実情を正しく表わしていない。映画の著作権は、著作者財産権が映画会社に帰属しており、実は映画監督には著作者人格権があるのみで、財産権がないのである。つまり映画監督というのは、日本では著作者ではあるが、著作権者ではないという、奇妙な状態になっている。詳しくは日本映画監督協会のサイトで確認していただきたいが、映画は監督のものではなく、映画会社のものであるという点を飲み込んで置いて欲しい。

 この川瀬氏の意見に対して、フジテレビジョンの佐藤氏の述べた意見は、また大変な爆弾だった。「著作権法上で番組制作と映画制作を分けているところに問題がある。番組も著作権法上映画と考えて、その中でどうやってフェアに利益を配分していくかを考えなければならない」

 ご存じのように映画というのは、著作権法上で異常とも思えるほど優遇された状態にある。これはかつて映画というメディアが、米国映画産業の後押しもあって強大な力を持っており、政治をも動かしていたことが大きい。テレビ番組の著作権も、映画会社と同じように放送局に一元化すべきである、という意味になる。

 この意見は、現状複雑怪奇なテレビ番組の著作権処理の状態では進まないので、映画のように一本化すればいいのではないかという趣旨であったかもしれない。しかし巧妙な契約により著作権が放送局に譲渡され、実際の制作者から搾取する実態が明らかになった場では、この発言はいささか虫の良すぎる話に聞こえる。

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