知人に商品開発のアドバイスをするため、同僚のCherryさんと熱いカフェラテをすすりながら話していた。ある素材を使ってサンプルを作るのが目的だ。あれもいい、これもいいと出し合った結果、“カップホルダー”を提案してみようということになった。熱々のコップやマグカップにぐるっと巻くようなものだ。
郷 でもさ、カップってサイズも形もいろいろあるよね。
Cherryさん そうですね。
郷 ぐるりと巻くのはいいけど、ホルダーのサイズをどうやって調整しようか? マジックテープかなぁ。
Cherryさん あの……郷さん、ブラジャーのフロントホック形式がいいと思うんです。
ブラジャー? フロントホック?……ブラジャーという単語は、いつでも男子の口を滑らかにする。Cherryさん曰く、フロントホックが二段階になっているものがあり、ゆるくしたり、ぎゅっと寄せて持ち上げたりできるそうなのだ。
郷 それって……AとかCカップとかいうのとは違うの?
Cherryさん AとかCとかはサイズですよね。それとは違って、サイズはそのままなんですが、まぁ“深く”見せるといいますか。
郷 ……ということは、標準を偽装するのか!
私は半ば呆れ、半ば感心した。ブラジャーには天使とか悪魔とか巧みなネーミングのものがあるが、平たく言えば“標準偽装のブラ”ということなのだろうか。
口が滑らかになる単語から書きだしたが、今回のテーマは“ユニバーサルデザイン”。誰にも公平なデザインというコンセプトだ。
10年以上前、初めてその単語を聞いたときには「?」と思った。バリアフリーや標準と何が違うのか? みんなに公平なデザインでは競争にならないのでは? 疑問はその時以来放置されていたのだが、疑問を解いてくれそうな商品が発売された。
ガス器具大手のリンナイと大阪ガスが共同開発したガスコンロ「Udea(ユーディア)」のキャッチコピーは、「あらゆる人のための使いやすさを追求したユニバーサルデザイン」。誰にも使いやすいコンロとは?――リンナイ開発本部でお話を伺った。
大阪ガスからの申し入れで始まった開発は、IH(電磁加熱)への対抗とコンロ市場の高級化・多様化に応えるのが狙いだった。とはいえユニバーサルデザインの商品を開発した経験は社内にない。そこで当分野の第一人者である、トライポッド・デザイン代表取締役の中川聰氏の指導を仰ぐことになった。
開発はまず、現状のコンロの評価から始まった。開発陣はもちろん、両社の社員は皆コンロの専門家である。詳しいがゆえに、何が使いにくいのか言い表すことは難しい。そこでトライポッド・デザインは小学生から高齢者まで、視覚・聴覚・手指障がい者を含めた評価者のべ75名を集めた。一連の使用プロセス(「購入」「設置」「説明書を読む」「使う」「修理する」)に沿って、リンナイ既存製品と他社製品を対象に評価ポイントを付けた。
評価基準にはユニバーサルデザインの提唱者であるロン・メイス氏が作成した7原則を当てはめた。「誰もが公平に使える」「左利きの人にもやさしく」「直感的に簡単に」「複数の感覚器官で分かりやすく」「誤使用しても安全に」「しゃがむ・立ち上がるとき、体に負担がない」そして「サイズが使いやすい」の7つである。この7つに、ガス器具ならではの安全性やデザイン性など3つの付則を足して、合計10の基準を設定。およそ20項目の評価項目へと具体化した。
評価者全員が各評価項目ごとに得点付けをして、スコアを累計する。初回は基準値に満たない項目が目立った。「『基準を下回る項目を作らないこと――それがユニバーサルデザインです』と中川先生から指導を受けました。しかしそう言われましても、今までユニバーサルデザインの視点で商品づくりをしたことがないですから」(リンナイ技術管理部技術企画室課長の洞谷さん)。洞谷さんが「ユニバーサルデザインとは何なのか?」と聞くと、中川さんの答えはシンプルだった。
「すべての人がいずれユニバーサルデザインのお世話になる」
私は視力障がいがある。といっても法律で認定される“視覚障がい者”ではなく、視力0.01以下のド近眼である。朝起きて寝ぼけ眼の裸眼でコンロに火を付ける私は家の中でも危険人物であり、そういう意味ではユニバーサルデザインコンロが必要だ。目だけでない。日本には隠れ聴覚障がい者が600万人いるという説もあるが、障害者手帳交付者は30数万人に過ぎない。ユニバーサルデザインが必要な人は、高齢者でなくてもたくさんいるのだ。
ところがほとんどの商品開発では、ユニバーサルデザインは意識されていない。下図では標準品を使う人を釣鐘曲線で表し、バリアフリー商品が必要な人(主に高齢者)、フールプルーフ※商品が必要な人(過誤があっても危険ではない、主に子ども)を両脇に置いた。
従来は破線で描いたマルのように、それぞれをターゲットに商品開発がされてきた。これではストライクゾーンがバラバラかつ小さい。
しかし実際は標準品ユーザーの中にもド近眼の隠れ障害者がいる。だから下図のように、標準ゾーンにも“ぎざぎざ線”があり、下に振れる赤い部分はユニバーサルデザイン商品の対象となる。また、人間は老いれば感覚器官だけでなく足腰も弱くなる。高齢化社会が進めば老人がボリュームゾーンだ。右も左も真ん中も、ストライクゾーンを1つの大きなマルにするのがユニバーサルデザインである。
ガスコンロの話に戻ろう。メンバーは試作品を作り、2回目の評価を行った。今度はリンナイ既存品、競合他社製品、試作品Aタイプ(量産を意識)、試作品Bタイプ(ありたい姿)の4品を評価してもらう。「試作→評価」作業を合計3回実施し、“ユニバーサルデザインを満足するライン”を目指した。さらに使いやすさを全体的にレベルアップさせるよう微調整を続け、オール80点の優等生にこぎ着けた。
「表示部の傾斜角1つ取っても、何度にするか決めるのが大変でした」と同企画室の藤垣主事は言う。議論を重ねた結果、「車椅子の人が見える角度」かつ「身長180センチメートルの人がズンドウ鍋をコンロに置いて見える角度」として、傾斜は10度にした。
そのほかにも、操作部ひとつひとつに膨大な裏付けがある。電源スイッチも最初は右側にあったが、「左利きにもやさしく」の原則から真ん中に設置。ボタンの色も感覚的に間違えない色と表示デザインを考慮した。左耳が不自由な人の指摘で、音声案内スピーカーは左右2個になった。グリルの取っ手は、手指障がい者だけでなく、菜箸を持ちながら開ける不精者にも配慮した。
Udeaの開発には、通常の商品開発の倍以上の期間がかかった。「誰にもやさしいコンロを作ろうとしているのに、開発陣にはやさしくないコンロだな」という冗談も出たそうだ。「大きな使いにくいところを改善すると、それまで見えなかった問題も見えてくるんですね」(洞谷さん)
ユニバーサルデザインの根本の思想とは何だろう。最初は、ユーザーのありのままの姿を観察し、現状の商品の悪さに気付くこと。これは公平な視点がなければできない。そして問題解決のレベルを上げてゆくと、それまで見えなかった問題に気付くようになり、開発の目線が一段上がる。高い視点からユーザーと商品を見つめることにより、気付きが深まる。商品レベルが上がり、差別化を生みだす力となる。ユニバーサルデザインとは、開発者も含めたみんなを包み込む“大きな包容力”なのである。
包容力のある商品、ブラジャーに立ち戻ろう。カップサイズの“標準”とは着心地アップに関係する。体の前で簡単に着脱できるフロントホックは“バリアフリー”。ぐいっと寄せて上げる“偽装”は差別化である。このすべてをレベルアップさせるのがユニバーサルデザイン――これなら男子には分かりやすい。
著者プロフィール:郷 好文
マーケティング・リサーチ、新規事業の企画・開発・運営、海外駐在を経て、1999年よりビジネスブレイン太田昭和のマネジメント・コンサルタントとして、事業戦略・マーケティング戦略、業務プロセス改革など多数のプロジェクトに参画。著書に「ナレッジ・ダイナミクス」(工業調査会)、「21世紀の医療経営」(薬事日報社)、「顧客視点の成長シナリオ」(ファーストプレス)など。現在、マーケティング・コンサルタントとしてコンサルティング本部に所属。中小企業診断士。ブログ→「マーケティング・ブレイン」
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