潤沢な現預金は財務基盤を強化し、今回のような未曾有の経済危機の際には企業経営の安定化に大きく寄与する。しかしながら、一方で、使途の無い現預金を過剰に保有していると、買収されやすくなる。例えば、株式時価総額1000億円の企業が300億円の現預金を保有していた場合、買収企業は一時的には1000億円の資金を投入しないとこの企業を買収できないが、買収後にはこの企業が持っている300億円の余剰現預金を取り出すことができるため、実質的な買収金額は700億円となる。また、使い道の無い余剰な現預金は、株主が期待しているような水準の利回りは生まないことから、株主の立場からすれば返還されてしかるべき性格の資金でもある。現預金を潤沢にもつ医薬品業界の企業の多くが最近、株主還元に積極的なのはこのような理由にも一因がある。
前回のコラムで見たが、配当や自社株買い等の株主還元を行うべきかどうかは、企業の成長段階による。高成長中の企業はフリーキャッシュフローがマイナスのため株主還元したくともそのためのキャッシュは無く、また株主も配当等の株主還元で貴重なキャッシュを企業外へ流出させるよりも、キャッシュを企業成長のための投資に充当し、その結果としてのキャピタルゲインを手にすることを期待している。一方、成熟企業は事業が生み出すキャッシュフローが潤沢である一方で新規投資案件が少ないことからフリーキャッシュフローは多額になりやすい。このような場合は稼いだキャッシュを株主還元に充てない限りキャッシュは内部に積みあがり、買収される危険性が増していく。
なお、企業価値の向上という観点から見て、ファイナンス理論的に有効な自社株買いは、有利子負債の調達による自社株買いとなる。これは事業リスクの大きさに比べて(時価ベースでの)株主資本比率が大きくなりすぎた場合、有利子負債を導入し、この資金でもって自社株式を買い戻し、資本構成を最適化しようとするアプローチである。
有利子負債を増加させ、これによって調達した資金で自社株買いを行った場、有利子負債の節税効果によって企業価値は増加する。例えば、先ほどのA社の場合、100億円を永久有利子負債で調達すると企業価値は有利子負債の持つ節税効果のため40億円増加する※。株式の時価総額は1000億円−100億円(自社株買い)+40億円(節税効果の現在価値)=940億円となり、株価は1044円(940億円/9000万株)に上昇することになる。(下図参照)
2001年から2002年にかけて東燃ゼネラルやアイシン精機が行った自社株買いはまさに資本構成を最適比率に近づけるとの観点から実施されたものであり、ファイナンス理論に立脚した資本政策として画期的と言える施策であった。しかしながら、昨今の自社株買いを見ている限りでは、残念ながら、この考え方が企業経営に浸透しているとはいまだに言いがたい状況にあるように思える。
東京外国語大学英米語学科(国際関係専修)卒業後フランス・リヨン大学経済学部留学、シカゴ大学にてMBA(High Honors)修了。富士銀行(現在のみずほフィナンシャルグループ)を経て、富士ナショナルシティ・コンサルティング(現在のみずほ総合研究所)に出向、マーケティングおよび戦略コンサルティングに従事。その後、ナカミチにて経営企画、海外営業、営業業務、経理・財務等々の幅広い業務分野を担当、取締役経理部長兼経営企画室長を経て米国持ち株子会社にて副社長兼CFOを歴任。
その後、米国通信系のベンチャー企業であるパケットビデオ社で国際財務担当上級副社長として日本法人の設立・立上、日本法人の代表取締役社長を務めた後、エンターテインメント系コンテンツのベンチャー企業である株式会社アットマークの専務取締役を経て、現在エムティーアイ(JASDAQ上場)取締役兼執行役員専務、コーポレート・サービス本部長。
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