大都市に“変わった人”が多いワケちきりんの“社会派”で行こう!(3/3 ページ)

» 2010年04月26日 08時00分 公開
[ちきりん,Chikirinの日記]
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大都市では「自分であること」が問われる

 ただ、自由度の高い大都市で暮らす人は「自分であること」を問われます。上から与えられる規範がないため、「あなたは何者なのか?」と問われるのです。「私は大学生だからこんな感じ」「サラリーマンだからこういう生活」という規範があれば、自由度はありませんが、選択する必要もありません。しかし、自由度が高ければ、それぞれが自分で自分のスタイルを選ぶ必要が出てきます。

 そして同時に、そのスタイルを選んだ理由についても問われます。「なぜ働いているの?」「なぜ結婚するの?」というような、規範性の強い社会では当たり前すぎてほとんど問われることのない質問さえ発せられることがあります。

 こうしたことに面倒くささや、戸惑いを感じる人もいるし、そもそも「自分でゼロから自由に選べと言われても困る」人もいます。周りが気になって自分の選択に自信が持てなくなったり、何かつらいことがあったりするたびに自分を責める人も出てきます。規範から押しつけられた生活であれば、規範や社会に文句を言っていればいいですが、自分で選ぶと逃げ道がありません。それはそれでつらいことです。

 また、「同じプロフィルの人は同じ生活スタイル」というパターンがないと、地域の半強制的なコミュニティは生まれません。30代〜40代の男性が全員で参加する祭りや消防団活動、“近所の子どもの大半が通っている学校”(そしてその親のコミュニティ)がある大都市は珍しいでしょう。

 すると、人は自分が所属するコミュニティを自分で探さざるをえなくなります。気に入ったコミュニティがなければ、自分で形成する必要があります。でも、そういうことが面倒な人も、不得意な人もいます。だから、多くの人がお金を払って習いごとをすることでコミュニティを見つけようとするし、時間的、経済的にそうする余裕がないと、“所属する場所”が会社以外に見つけられなくなる人もいます。

 “都会は孤独”という使い古された言葉がありますが、それはこういうところから来ているのではないでしょうか。同じプロフィルの人、同じ生活パターン、特定コミュニティへの帰属を求めてくる「おせっかいな他者」が存在しない場所では、人は簡単に孤立してしまいます。

 というわけで、大都市での生活を楽しめるのは、「圧倒的に自由度の高い非規範的な環境を楽しめる“確固たる自分”の持ち主」であり、「個人でコミュニティを形成してしまえるほどのバイタリティの持ち主」ということになるのでしょう。

著者プロフィール:ちきりん

関西出身。バブル最盛期に金融機関で働く。その後、米国の大学院への留学を経て現在は外資系企業に勤務。崩壊前のソビエト連邦などを含め、これまでに約50カ国を旅している。2005年春から“おちゃらけ社会派”と称してブログを開始。

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