なぜテレビは面白いのか? 放送作家のボクが考えてきたこと35.8歳の時間・都築浩(2/6 ページ)

» 2010年06月04日 08時00分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]
放送作家を始めたばかりのころ

 そして、その番組で「放送作家募集」という告知が出ていたんです。そのとき「東京に来たら放送作家になろう」という夢を思い出しました。「あー、自分はやりたいことがあったんだ」って。放送作家募集に応募したのは数百人いたのですが、数回のオーディションを経て、最終的に10人ほどが合格。ボクも合格し、『元気が出るテレビ』で総合演出をされていたテリー伊藤さんの事務所「ロコモーション」に所属することに。まだ20歳だったのですが、その日から放送作家になっちゃいました。

放送作家の仕事は“コンサルタント”のようなもの

 テリー伊藤さんの事務所に入っても、誰も「放送作家のイロハ」といったものを教えてくれませんでしたね。なので先輩が書いた台本を見たり、ゴミ箱に落ちている資料などを見ながら、書き方を学んでいきました。少しして『元気が出るテレビ』の会議に呼ばれるようになり、企画を考え、そして台本を書くようになりました。いまもそうなのですが、アルバイトのような感覚で仕事をしていましたね。ただアルバイトにしては、ちょっとカネがいいなあ……みたいな(笑)。

 いま振り返ると、とても幸運だったのですが、『元気が出るテレビ』ではすべての仕事を経験させてもらいました。会議に企画を出して、担当を振り分けられてディレクターとともにロケに行ったり、そのあとの編集作業も一緒にやりましたし、もちろんスタジオ収録もちゃんと見に行きます。最初の番組で、テレビの作り方というものを自然と学ばさせていただきましたね。

 放送作家の仕事というのは、各番組によって関わり方が違ってきます。会議に参加するだけであったり、企画案を出すだけだったり、複数の放送作家が交替で台本を書いたり、生放送に行かなければならなかったり。いろいろな形があるのですが、ボクはこの仕事は“経営コンサルタント”のようなものだと思っていますね。

 視聴率批判をされる方もいらっしゃいますが、やはりこの世界は数字を無視するわけにはいきません。視聴率が悪ければ、番組が終わってしまいます。となれば番組に関わっている関係者が、路頭に迷うことになりかねません。もちろん放送作家が番組のすべてを担っているわけではありませんが、厳しい数字のときには立て直すことも、この仕事の大切なことですね。

日本テレビで担当した番組

天才・たけしの元気が出るテレビ!!

とんねるずの生でダラダラいかせて!

進め!電波少年

進ぬ!電波少年

世界まる見え!テレビ特捜部

どちら様も!笑ってヨロシク

1億人の大質問!笑ってコラえて

特命リサーチ200X

ウッチャンナンチャンの世界征服宣言!

ウッチャンナンチャンのウリナリ!

つんくちゃん

ビートたけしのお笑いウルトラクイズ

たけし・さんまの超偉人伝

所・さんまのおしゃべりの殿堂

とんねるずの仁義なき花の芸能界すべて乗っ取らせていただきます!!

ハリコミ!らいおん

LQ

など

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