「もともと保育園は公立と社会福祉法人立だったと先ほど申し上げましたが、社会福祉法人と言っても、その実態はプライベートセクターで“社会の公器”としての自覚に欠けるところが多いのです。多くは地元の名士が運営しており、代々世襲するのが通例です。地域での競争が存在しない独占事業なので、サービス向上を図るという発想はありません。
行政から運営費が出るので、行政から言われた通りにやってさえいれば、何世代にもわたって無税で給料が入り続ける構造になっているんです。固定資産税もなしですよ。これぞまさに既得権益ですよね。“おいしい収益マシーン”ですから、決して手放したくはないし何も変えたくはないんです。
給食のメニューすら自分たちでは作らず、行政が作ったメニューをそのまま使用しているケースも多いですからね。世間を震撼(しんかん)させた中国毒ギョーザ事件の時だって、あのギョーザを仕入れていた保育園もあったんです。幸いにして園児に被害はなかったようですが。
それだけではありません。入園する子どもの数が減ろうものなら、自分たちの無為無策を棚にあげて『行政の責任だ』と言ってクレームを付けたりするんです」
これが実態であるとするならば、既存の保育園が既得権益を守るために新参者を排除しようとするのもうなずける。具体的にはどのようにして排除に動くのだろうか?
「新規参入した企業が、子どもや保護者の目線に立ったサービスを提供しようとするとしましょう。もしそんなものができたら、既存の保育園は自分たちが世間から批判されることになるので、それが嫌で行政に対してクレームを付けるのです。社会福祉法人は行政への発言力の強い地元の名士が運営しているケースが多いので、行政としても彼らからの圧力は無視しにくいという事情があるのです」
こうした自己保身のための圧力や妨害によって、利用者目線に立ったサービスを志す者は、保育業界への参入を阻止され、あるいは撤退を余儀なくされる。そして、待機児童問題はますます深刻化することとなるのだ。
そんな新参者の1人であった山口さんも、相当に厳しい状況に置かれたようだ。もし、最初から保育事業1本でやっていたら、撤退せざるをえなかったのではないだろうか。
「その通りです。私の場合、赤字続きの苦しい時期でも、それを資金的に支える事業が別に存在したので頑張り続けることができたのです。あれがなかったら保育事業への本格参入は無理だったと思いますよ」
山口さんは明治学院大学法学部を卒業した後、大和証券で営業マンとして勤務していた。しかし、バブル崩壊直後の1992年に退職。翌1993年に名古屋でジェイ・プランニングを起業、オフィス向けのコーヒーサービスを開始する。
元来パチンコ好きだった山口さんは「パチンコに熱中している時に女性スタッフがコーヒーを売りにきてくれたら良いのになあ」と思っていたという。そこで、自社でその前例のない事業にチャレンジしようと考えて、パチンコ店でのコーヒーワゴンサービスを始めると、狙いは的中し事業は急成長。2002年にはJASDAQでの株式上場を実現する。
この間、社員の多くを占める女性たちの福利厚生の一環として2000年に託児所を開設。翌2001年には、日本初という年中無休の大型保育園を埼玉県に開園して保育業界に参入する。それ以後、赤字続きながらも事業拡大を図ったのだが、このビジネスを資金的に支えたのが、パチンコ店でのコーヒーワゴンサービス事業だったという。
そんな保育ビジネスも2007年ころからようやく軌道に乗り始め、将来へのメドも立った2010年、山口さんは社業を保育ビジネスに一本化する決意を固め、コーヒーサービス事業を売却したのである。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PRアクセスランキング