来てよその“日”を飛び越えて――今こそ、震災復興ツーリズムのススメ『あまちゃん』最終回記念(4/9 ページ)

» 2013年09月30日 12時40分 公開
[本橋ゆうこ,Business Media 誠]
誠ブログ

気仙沼でBRTに乗ってみた

 3日間滞在した石巻を後にして、気仙沼方面を目指す日が来た。

 また新たに青春18きっぷにスタンプを押してもらい、石巻線から気仙沼線へと乗り換えると、そこは途中から線路ではなく代行バスの区間になる。通過する際の料金はそのまま青春18きっぷを使えるが、この区間では乗る車両が列車から、BRT(バス・ラピッド・トランジット bus rapid transit)に変わるのだ。

JR気仙沼線は現在、BRTが走行している

 BRTのことは、読者の皆さんはどれくらいご存知だろうか? 筆者もこの旅をするまで名前すらほとんど聞いたことがなかった。バス・ラピッド・トランジット(BRT)とは、アメリカ大陸などで盛んな旅客輸送システムで、地下鉄のような大量輸送が可能な都市での交通を、軌道(線路)ではなくバスを用いて実現しているものだ。専用道を作ってしまうので信号待ちや渋滞の影響も受けずに済み、運行本数も増やせる……と説明しようとして、震災しばらく後に書かれたこんな誠の記事を発見した(参照記事)。BRT以外にも東北の鉄道輸送の将来(2012年2月当時から見た)に関して興味深い内容が語られているので、合わせて読んで頂ければと思う。

 →杉山淳一の時事日想:JR東日本は三陸から“名誉ある撤退”を

 しかし実を言うと、「あの時に想定していた未来は結局どうなったのか?」ということを、今となってはむしろ色々と考えさせられる。いまだに東北の沿岸部の鉄道路線は完全に元通りには復旧していない。だからこうして筆者は列車と、BRT表示のあるバス路線とを行き来しつつ、三陸の山深い道を旅しているのだから……そう考えると複雑な気分になった。

再建工事中の石巻線・女川駅

解体直前、気仙沼の漁船・共徳丸を見る

 外からの観光客を意識してか、BRTは気仙沼、女川、陸前高田………といったテレビで何度も名前を聞いた被災地を通る時には、そこのシンボル的な震災遺構の建物跡等がよく見えるルートを、場所によってはそのすぐ横を通ってくれる。

気仙沼市の共徳丸をBRTの車内から

 それらを見ていてふと、程度の差はあっても、沿岸のいまだ復興途上にある被災地の景色は、どこか似通っていると感じた。海に向かって開けた、山が迫り決して広くは無い土地に、家々の基礎だけが残され、夏草の生い茂った空き地が広がっている。所どころに盛り土用の小高い山ができており、その周りには黄色やグリーンやオレンジの重機が忙しく動きまわっていた。

 がれきは、多くの場所では表面的にはほとんど片付けられているように見えるが、ほんの少し移動して海沿いに行くと壊れた水門や、突き出したコンクリート片がそのまま半ば沈んでいたりした。さらに、その景色の向こうの入江には、陸より先に元の姿を取り戻しつつある養殖の筏や小型の漁船が、ゆったりと波間に揺れていて、良いことだとは思いつつ、どこか不思議にちぐはぐな印象でもあった。

 この海は、大津波を起こした海とは違う、別の海なのだろうか?そんなことをつい思ってしまう。

津波に流され、市街地に打ち上げられた漁船・共徳丸は、9月9日から解体が始まった(撮影:吉岡綾乃、2013年8月11日)
共徳丸から数百メートルのところにある、気仙沼線鹿折唐桑駅。ホームは無事に残っているが、気仙沼線がBRTになった結果使われていない線路は草が生え放題だ(撮影:吉岡綾乃、2013年8月11日)

目指せ、「あまちゃん」の舞台・久慈! しかし……痛恨のミス

 せっかく毎朝テレビでは海女のあまちゃんが「じぇじぇじぇ!」とか言っているのだから(ちょうど筆者が旅している頃、「あまちゃん」は震災編を放送していた)、ここは是非、あまちゃんのふるさと久慈まで到達を目指すべきだろう! ウニ丼を味わうべきだろう!……と勢い込んで北関東を出て来たのだったが。道中、時刻表とにらめっこするうちに困った事態に陥っていることが分かった。

 計画では、1日で石巻を出て気仙沼から海沿いに釜石まで北上しようと考えていた。しかし震災から2年以上経った今でも、いまだに東北の三陸沿岸では震災の時に線路が寸断されたまま復旧していない路線があるのだ。たとえJRではなくても、ポケット時刻表の文字が超〜小さい路線図には一応書いてあるから、てっきりつながっているものだと早合点してしまった。油断である。

 この記事の中でも触れられていたが、山田線と大船渡線、三陸鉄道の北・南リアス線の一部が不通区間となっていて、路線バスによる代替運転がある。しかし、これらを一気に乗り継ごうとすると、あまりに本数が少なく、連絡が悪すぎるのであった。いっそ、青森側まで一気に北上してしまい、八戸から久慈を目指すほうがずっと速そうである。(ただし運賃は、盛岡―八戸間の青い森銀河鉄道では青春18きっぷが使えないので、そこだけで片道2000円以上かかるが…)

三陸鉄道のかわいらしい車両
釜石は鉄の街

 なんとか気仙沼から釜石までつなげられないものか? とさんざん脳内時刻表でシミュレーションし、早朝から出発して、1日にわずか数本しか目的地まで連絡しない列車とバスの便をうまく乗り継いで、やっと次の便に乗って終点まで行けば釜石!と思ったところまで来た時だ。

 ここで筆者は衝撃の、そして痛恨のミスを犯していたことに気付く。なんと、ポケット時刻表に表示された盛―釜石間の三陸鉄道・南リアス線のうち、終点の釜石だけ「二重線」が引かれていることに気がついた。つまり、ここのひと区間だけは今も不通だったのだ! たったひと駅区間というなかれ、山手線とはわけが違う。このあたりの感覚では、次の駅は余裕で山ひとつ向こうだったりするのだ。おいそれと歩いてたどり着くわけにも行かない(たぶん遭難する)。

 困った……この日は釜石まで行って、そこから盛岡行きの直通バスに乗って宿に戻り、翌日は朝から久慈を目指すつもりだったのに。これでは終電も終バスも無くなった文字通り「陸の孤島」で身動きが取れないではないか! このときは本気で途方に暮れた。

 幸い、親切すぎる盛の駅員さんが2人がかりで、「盛からも盛岡行き直通があるから〜」とわざわざバス停まで案内してくれ(しかも二手に別れてそれぞれ見えなくなるまで探しに行ってくれるという恐縮な事態……)なんとかその日のうちに盛岡まで戻ることができた。しかし、あの夕方4時台で既にその日の終電(と終バス)を逃していたと判明した状況で、他に直通の代替交通手段が見つからなかったら、山の中で行き暮れたあげくに、盛岡のホテルのキャンセル料まで取られるところだった。危なかった……と後々までしばらく冷や汗が止まらなかった。このスリルもアナログ旅のだいご味ではある(?)。

 結局、今回の18きっぷ旅では辿りつけなかった久慈には、またの機会があれば是非、訪れてみたいと思っている。待ってろよ、ウニ丼!