1974年生まれ、学習院大学文学部卒業。在学中から、テレビ情報番組の制作に携わり、『フライデー』の取材記者として3年間活動。その後、朝日新聞、漫画誌編集長、実話紙編集長などを経て、現在はノンフィクションライターとして週刊誌や月刊誌でルポを発表するかたわらで、報道対策アドバイザーとしても活動している。『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)で第12回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。近著に『死体の経済学』(小学館101新書)、『スピンドクター “モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文庫)がある。
日本テレビがドラマ『明日、ママがいない』の内容を一部変更するらしい。
事実なら、慈恵病院や関係団体などの抗議に屈してしまった形である。「しまった」なんて言い方をすると、変更に反対しているように聞こえるかもしれないが、そうではない。
前々回の本コラムで、児童養護施設出身で子どもたちの支援を続ける元プロボクサー・坂本博之さんらの声を紹介したが(関連記事)、この問題の本質は、テレビという「社会の公器」が、心に傷を負った子どもにどこまで配慮できるかという点にある。「つけ鼻で外国人が差別される」とか、「カエルで未成年が酒を飲む」なんて斬新なクレームとは、まったく次元が違う。
児童養護施設にやってくる子どもの半数以上は虐待を経験している。「そういう子どもは見るなよ」いう声もあるが、当事者が目をつぶっても、周囲に見た者がいれば、子どもをペット扱いする施設のイメージはあっという間に広がり、差別や偏見を生む。
「ドラマを真に受けるバカはいねーだろ」というのは大人だから言えるのであって、低学年くらいでは“境界線”はあやふやだ。子どもに人間を切り刻むシーンを見せて、「あれはCGだから」と安心させても悪夢にうなされる。「途中なんやかんやありますが、ラストまで見たら真意は伝わります」なんて、アマチュア映画祭で落選した若者みたいな言い訳は通用しない。
欧米のドラマや映画が未成年者に厳しい規制があるのは、人権屋がワーワー騒ぐからではない。発達過程にある子どもたちの精神に、映像作品が与える“実害”が実証されているからだ。
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