「チューハイ増税」に影響を与える“甲乙戦争”とはなにかスピン経済の歩き方(3/4 ページ)

» 2015年05月12日 08時00分 公開
[窪田順生ITmedia]

両者の間には深くて長い河が流れていた

 東京の下町から生まれた「酎ハイ」という飲み方が、居酒屋チェーンによって広まり、若者を中心にチューハイブームが起こったのだ。本格焼酎からすれば、胸をかきむしりたいほどの屈辱だった。そもそも乙類焼酎から「本格焼酎」と呼び名を変えたのも、「我こそは本物」という思いがあったからと言われる。

 当時の本格焼酎メーカーの悔しさをにじませる言葉が、日経産業新聞(1983年10月31日付)に出ている。

「甲類しょうちゅうは、しょせん終戦後のアルコール不足時代に現れた成り上がり者に過ぎない。それに比べて乙類は紀元前からの歴史を持つ由緒正しい酒である」

 一般ユーザーからすれば、製法は違っても同じ焼酎同士なんだから仲良くすればと思うが当時、両者の間には深くて長い河が流れていた。それを象徴するのが「組合」だ。 

 甲類焼酎メーカーの多くは「日本蒸留酒酒造組合」に属していた。一方、乙類焼酎メーカーのほとんどは「日本酒造組合中央会」という清酒の組合に所属した。外から見れば同じ焼酎ながらまったく似て非なるものという立場をとっていたのだ。「ストロングスタイル」を標榜した新日本プロレスと「王道」を名乗った全日本プロレスのようものだと思ってもらえばいいかもしれない。まあちょっと違うかもしれないが。

 もちろん、現在はそんな確執がないが、その名残はある。日本酒造組合中央会のWebサイトには、組合員の内訳として「単式蒸留焼酎271」と明記されており、「本格焼酎と泡盛」というPRサイトも運営。今も甲類焼酎とは一線を画している。一方、日本蒸留酒酒造組合も「焼酎SQUARE 甲類焼酎のすべて」というサイトを運営。連載コラムの初回を「甲乙つけがたし」というタイトルで「最近は本格焼酎がえらいブームになっているようだが、まあとりあえず堅いこと言わずにどちらも楽しめばよいではないか」などとエールを送るなど、かなりビミョーな距離感であることがうかがえる。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.