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» 2004年12月17日 09時01分 公開

ITは、いま──個人論:オン・ザ・エッヂを創業した彼女が歩いてきた道 (4/5)

[杉浦正武,ITmedia]

 彼女は昔から、経営方針として「ちゃんとクライアントを見て、きちんと仕事をしていくべきだ」と思っていた。会社が大きくなりすぎると、自分の目の届かない部分も多くなる。それは、自分にとって受け容れられなかった。

 一方、堀江さんは“会社は大きくすべきだ”という考えでいた。意見がかみ合うことはなく、そのまま彼女はオン・ザ・エッヂを去ることになる。

 それから、オン・ザ・エッヂはエッジへと名前を変え、さらに民事再生手続きを申請した無料ISPのlivedoorの事業を引き継ぐ。社名もライブドアに変え、ISP事業者としてネット業界に確固たる地位を築いた。今年のプロ野球参入騒動で、大いに知名度を上げたのは多くの人が知るところだ。

 ライブドアが有名になると、とたんに彼女もマスコミからの取材に追われるようになった。彼女は日頃、テレビを見ない。だから、堀江さんが有名になったといってもいまひとつ実感がわかない。

 いまのライブドアには、オン・ザ・エッヂ当時の創業メンバーはいない。彼女が知っているのは、税理士として関わりのあった宮内亮治さん(ライブドアの前の取締役最高財務責任者)ぐらい。ほかのメンバーは、みな去っていた。彼女にとって、「関係なくなった」会社であり、特にコメントするようなことはない。彼女は、ゴシップ系の取材はすべて断っていた。

 ただし、1つだけこの場を借りて、きちんとしておきたいことはある。堀江さんはその著作の中で、創業メンバーが会社を去っていった当時を振り返り、いろいろな記述をしている。中には、彼女を特定できるかたちで、堀江さんの思い込みで成り行きを説明している文章もある。

 「話を盛り上げようとしたのかもしれないが、説明を読むと事実誤認がある。その点では、先方から謝罪も入っている。重版の際には、該当カ所は削られることになっているが……いつになるか分からないので、それがそのまま事実になってしまっている」

 特にどの表現が、ということではない。全部が、こちらの見方と異なる。彼女は、堀江さんとは今後お互い、その話はしないでおこうと話をしている。

 「けして、嫌な思い出ではない。当時は楽しかった。そして、それぞれ考えが違うと分かったということ。今のライブドアをどう見ているとか、そういったコメントをするつもりはない」

新しい出発

 彼女は、オン・ザ・エッヂを去った。ただ、仕事で培った人脈は残った。彼女に付いて来てくれるクライアントがいた。付いて来てくれる社員もいた。

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