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» 2004年12月17日 09時01分 公開

オン・ザ・エッヂを創業した彼女が歩いてきた道ITは、いま──個人論(3/5 ページ)

[杉浦正武,ITmedia]

 働きながらの学生生活は、やはり大変だった。学生ベンチャーを面白がり、応援してくれる教授もいたが、理解のある教授ばかりではなかった。

 当時、携帯を持つ学生もまだ珍しかった。その中で、授業中にクライアントからの電話が鳴り響く。そんな時は、彼女はたちまちクラスを追い出された。

 特に彼女を敵視したのが、ゼミの担当教授だった。「あなたに単位はあげません」。そんな電話を、わざわざ自宅にまでかけてきたりした。やがて、彼女は大学をやめる。父親との約束は、果たせなかった。

仕事が軌道に乗る〜そして多忙な日々

 一方で、事業の方は順調に伸びていった。堀江さんが駆け回って、仕事をとってきた。

 特に大きかったのは、有名アーティストのWebデザインを手がけたこと。当時人気絶頂だった、小室哲哉関連のサイトデザインを任された。堀江さんが、知り合いの知り合い、といった具合につてをたどって受注に成功した。

 「年末イベントをWebでやるとか、当時としてはムチャな試みもやった」

 浜田省吾やスピッツといったアーティストが所属する事務所の、ホームページ作りも丸請けした。各アーティストのページをそれぞれ作って、同時オープンする。そんな仕事内容を、“デザイナーは実質彼女1人”という状態でこなした。忙しさはピークで、“完徹”(完全徹夜)で丸2日働いた。ひょっとすると、もっと働いたかもしれない。

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 会社は順調に成長し、すぐに株式会社になる。やがて、株式上場しようかという話になった。だが、ここで社内の意見に対立が生じた。彼女は、社長である堀江さんの意見にどうしても賛成できなかった。

 「あの時、(堀江さんとは)根本的に違うものを感じた」

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