「ほんのシャレ、だったんですが……」
ネタで作った歌だった、「日本ブレイク工業 社歌」。Webサイトで公開していたら、作った2年後の2003年になってテレビで紹介され、ブームの大波がやってきた。
ネットで話題になり、「2ちゃんねる」でアレンジ版やFlashが登場。急きょ作ったCDは、オリコントップ10入り。予想外の展開。振り返ると「神がかっていた」とすら思う。「運というか、引力みたいなものを体感しました」
驚きながらも、冷静だった。「いずれ冷めるだろうと思っていました。ブームが終れば、また元のmanzoに戻って曲を作れる、と」
そろそろその時期だと思っていたころ、次の花火がやってきた。「ブレイク工業をテーマにしたパチスロ台を作りたい」という意外なオファー。この7月、パチスロ台「日本ブレイク工業」が店頭に並んだ。運と引力が、また彼を包む。
萬Z(量産型)(マンジィーりょうさんがた)またはmanzo。1971年生まれの36歳。ブレイク工業を作詞作曲し、歌ったミュージシャンだ。
4歳からギターを弾き、小学生のころから打ち込みを始めた。初めて触ったPCは、NECの8ビット機「PC-6001」。いまもPCで曲を作り、部屋に作った小さなスタジオで歌を入れ、Skypeで楽曲データをやりとりする。
「ITのおかげで家の外に出る必要がなくなって、太ってしまいます」。便利さと引き換えに手に入れたメタボリックなお腹に、ちょっぴり悩むこともあるが、「ITには、感謝してます」。
「シクラメンのかほり」を弾き語るような幼稚園児だった。歌手だった母と、フラメンコギターを弾く父の影響で、小さいころから音楽好き。歌本のコードで分からないところがあると、小学校の音楽の先生を質問攻めにした。
打ち込みは小学生のころから。友人が持っていたNECの8ビット機「PC-6001」で、「マイコンBASICマガジン」に載っていた菊池桃子やオフコースのMML*1を打ち込んだ。土曜の放課後は、新宿NSビルにあったNECショールームに駆け込み、無料開放されていたPCを同級生と取り合った。初めて手にした自分のPCは、中学2年のとき親にねだって買ってもらったPC-8801 mkII MR。誰にも気兼ねなく打ち込みを楽しめた。
BOØWYのブームで「ネコも杓子もギターをやっていた」高校のころ。ホワイトスネイクの「Is This Love」に感動し、生ドラムを始めた。曲作りも本格化。お年玉を貯めて買ったVestaxの4トラックMTR*2で「音を重ねすぎてぐしゃぐしゃになりながら」作曲した。
セロニアス・モンクに感動して大学でジャズピアノを始め、「Weather Report」のジャコ・パストリアスにあこがれてベースを始めた。歌謡曲、ロック、ジャズ、フュージョン……好きなジャンルは、どんどん変わる。「飽きっぽくて」と自嘲するが、ギターもピアノもベースもドラムもできる。
「自動車免許を取るか、MTRをとるか」悩んだ末、オールインワンシンセと新しいMTRを手にした。KORGの「01W」とTASCAMの8トラックMTR。キーボードの音がそのままデータになる。機材が進化し、音が進化する。50万円のローンは、ファミマの深夜バイトで返した。
プロ活動は大学3年から。Windowsと出会ったのもそのころだ。当時の彼女が持っていた「PC-9821 AS2」に、フロッピー12枚分もあったWindows 95をインストールした。シークエンスソフト「Vision」で作曲も。データ管理が便利になり、音はなめらかになった。
*1 Music Macro Language、楽曲演奏のための簡易言語
*2 Multi Track Recorder。別録りした音を重ね合わせて録音できる
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