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第4章-3 機械で心を作るには 「哲学的ゾンビ」と意識人とロボットの秘密(2/3 ページ)

» 2009年05月29日 16時06分 公開
[堀田純司,ITmedia]

「哲学的ゾンビ」とは、外見はまったく人間そっくりで、完璧に人間と同じようにふるまうが、人間と同じような意識体験は持っていない存在。

画像 人間の意識活動には、たとえば美しい夕日を見たとき、「美しい」というありありとした質感、クオリアが伴う

 たとえば人間そっくりなアンドロイドが実現したとする。このアンドロイドは非常に精巧にプログラムされていて、赤いものを見れば「赤い」といい、熱いものにふれれば「熱い」と叫び、あるいは美しい夕日を見れば「美しいなあ」とつぶやく。

 このアンドロイドは、見た目は完全に人間と同じようにふるまうのだが、実は彼の行動はプログラムにしたがっているだけで「美しい」とは言っても、そこに「美しい」という意識体験はともなっていない。

 人間ならば「美しい」というとき、そこにありありと美しいという質感、クオリアを感じているが、このアンドロイドはただプログラムにしたがってふるまっているだけで「美しい」という意識体験を感じていないのである。

 このアンドロイドがプログラムにしたがって「美しい」と発言する行動が「機能としての意識」であり、このアンドロイドが持たず、人が経験する「美しい」という質感が「現象としての意識」だといえる。

 ちなみにこれは余談になるが、哲学者、デイヴィッド・チャーマーズはこの思考実験をさらにすすめて、外見だけではなく体内の分子構造まで完全に人間と同じ存在でありながら、現象としての意識を持たないゾンビの仮定を提案する。

 物質的には完全に同じ組成で機能としての意識は持つが、しかし現象としての意識は持たない。つまりクオリアは感じていないという存在である。

 あなたはこのゾンビの存在を想像できるだろうか。できるのなら、あなたは心と肉体は別の原理を持つという心身二元論に共感を感じる人かもしれない。

 機能としての意識ならば、ニューラルネットワークを使わなくてもできる。たとえばAIBOには「知っている顔を認識するとよろこぶ」とか「お腹がすくとエサをねだる真似をする」といった反射的な行動がプログラムされていました。

 こうしたプログラムを意識の機能に埋め込んで、適切な状況で「いやあ、今日はとても楽しいですよ」と言わせることはできる。機能としては、これで必要十分に意識だと思うのですが、そこに現象としての意識も伴っているとは言えない。しかし、現象としての意識もニューラルネットワークを使えば実現できるかもしれません。

 ただ物理的なハードウェアとして開発しようとする研究もありますが、現状の多くのニューラルネットワークは、コンピューターのプログラムとしてシミュレートしている段階です。たとえばニューロンが100個あるとして、その発火のパターンをプログラムで模擬して書いている。

 パターンを記号化せずにパターンのまま表現し、しかもそれを記号と対応させるということはまだできないんですよ。だから今のところは、私も多くのコネクショニストと同じように、楽観主義で「実現できるはずだ」と言っているだけなんです。

 当然、その一方では「つくれるはずならつくってみろ。つくれないだろう。機械で心をつくることはできないんだ」という、チャーマーズのような立場の人たちもいるわけです。

 しかし指をつつくと、そのつつかれた指先で「痛い」と感じますよね。熱いものにふれると、やはり指先で「熱い」と感じますよね。これは実は不思議な現象で、人間の皮膚には、触覚のセンサーがあるだけで、熱いだとか冷たい、あるいは痛いといった感覚を、指先だけで感じることは決してできないんですよ。

 この現象は、「こういう刺激情報がきたら、痛いと感じる」と、脳にプログラムとして書き込まれているとしか解釈できない。だとすると人間の意識も、意識活動にともなうクオリアも実は脳による計算、言ってしまえば幻想なわけで、そこに実在はない。であれば現象としての意識がなくても、機能としての意識が実現すれば、それは十分に意識だという論理になるんです。

 クオリアを重視する人には、そんな論理は詭弁だと言われますけど、私はやっぱり同じじゃないかと思えるんですよね。だから人間の心も、ロボットの心と大差はないと考えています。

人間とは感覚の束

 ロボットの意識が実現したら、人間の心と変わらない。となると、人間の心が尊重されるのと同じように、ロボットの心も尊重されなければならないという結論が導かれるが、教授はまさにそのように考えている。

 二足歩行が実現して、ロボットの見た目は人間に近くなった。しかし、はたと考えてみると、今のロボットにはセンサーがまったく足りないんです。人間はモーターニューロン10万個に対し、センサーニューロンはその50倍の500万個持っている。人間とは、実は動かす装置よりも、センサーのほうが圧倒的に多い存在なんです。だから人間と同じように動けるロボットをつくったとしても、それだけではなにも感じていない。それではまだ人間とはほど遠い存在だと思います。

 確かに。かつてイギリスの経験論者は、人間とは感覚のかたまりであるといっていた。

 そうなんですよ。しかしまだロボットは、感覚のかたまりにはなっていませんね。感覚のかたまりでないと、心なんてできるわけはないと考えています。人間の心にとって記憶が非常に重要なのですが、その記憶をつくるものはすべて感覚からのインプットですから。

 ロボットは体があるからこそコンピューターと異なる存在なのですが、しかし体があっても触覚をちゃんと持っていないのでは、非常に中途半端な存在だと思います。

 センサーを全身にまとわせて、触覚をきちんと持つようになると、ロボットはものすごく変わるという予感があるんですよ。触覚というと一見、地味ですけど、実はものすごく重要だと考えて、取り組んでいるんです。

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