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Kindle時代のテキストとは ARに見る未来、「セカイカメラ」実験から得たもの(1/3 ページ)

» 2010年02月25日 14時31分 公開
[よくわかるARの会(仮rev),ITmedia]

紙の衰退とKindle――テキストコンテンツ、ほんの少し先の未来

 新聞・雑誌など、コンテンツを発表する「場」を巡る状況は、わたしたちが抱いていた想像よりもはるかに早く混沌が訪れており、しかも今後どのような世界に収斂(しゅうれん)し、どんな可能性が生まれるのかがまだ見えていません。近年のバズワードであるAR(拡張現実)も、大きな意味でとらえればコンテンツの場のひとつです。従来のメディアという場を失いつつあるコンテンツが、ARという新しい出口を目指して奔流となろうとしていると考えることもできます。

 ほんの数年前には「レガシーなメディアは衰退していくだろうが、自分たちが現役でいる間は逃げ切れるかな」と考えていたものですが、紙分野の状況は思っていた以上に急速に変化、はっきり言えば縮小してきました。新たな可能性として浮上するのが電子書籍なのですが、この領域では今年2010年1月にネット通販大手のAmazonが、同社端末Kindleを使った電子書籍の配信で、特定の条件を満たした場合、ロイヤリティを70%とするオプションを発表し、注目を集めています。

 日本国内市場だけで、書籍、DVD、CDの売上高が実は1000億円規模に達している可能性があると推定されるほどの販売力を持つAmazonが、こうした従来の出版界の常識をくつがえす条件を発表したことで「それならば出版社から書き手が流出するだろう」との一般報道も目にします。ですが問題はそう単純ではないはずです。たとえば電子書籍の場合はその性質上、印税は「実売印税」。つまりダウンロード数に応じた売上高の印税となりますが、レガシーな紙の出版物の場合、一般に刷り部数に従って印税が支払われてきました。

 書籍の場合、最大のコストは紙の領域です。出版社はその紙のコストと在庫リスクを負って出版し、初版分がまったく売れなくても刷り部数分の印税を著者に支払ってきました。その点で出版社は、著者とともに作品を世に問いたい(売れたい)というモチベーションとリスクを共有する存在であり、また一般論として、刷った分だけ印税を払うという、いわば護送船団方式的に著者に優しい制度を維持してきた存在とも言えました。そうした出版社が「著者とともに2人3脚で作品をつくってきたのは出版社だから2次配信の権利も持つ」と主張するのならば納得し難くても、「リスクを負って自分たちが紙で出版し、それで売れた作品が電子書籍として他社に配信されてしまうのはどうか」という主張するのならば共感できる人も少なくないのではないでしょうか。

 そしてもちろんAmazonとしても、そうした出版社の役割をよく理解しており、その機能を自分たちで担いたい、担えると考えているわけではないでしょう。原石を発掘し磨いて世に出すというプロセスは、案外独特のインフラと技術の世界です。またなんといっても彼らにとって出版社は現時点で非常に大切な取引先で、争うメリットはないでしょう(逆に出版社にとっても彼らは大切な取引先です)。しかも別に出版社と争ってまで版権を獲得し、編集機能を自社で持つ必要などないのです。もし必要なら将来、版権ごと出版社を買収してしまうほうが効率がよいのですから。

 そもそも1月の発表は電子書籍を、紙の書籍に続く2次著作物としてとらえており、実は出版社にとって悪い話かというと必ずしもそれだけではないはずです。出版社が危ぐするとすれば既存の販売チャンネルへの配慮と、ある社が電子書籍市場で完勝し「販売チャンネルを完全に1社に握られてしまうリスク」でしょう。米国のほかのメディア企業もこの事態を危ぐし、独自の電子書籍端末を開発するため、日本の電機メーカーへの瀬踏みを行っていると言います。

書籍の「市場原理主義」化がもたらすもの

 ただ今後、テキストコンテンツが紙からデジタルへと軸足を移した場合、出版社と販売チャンネルの役割は、近くなっていくのかもしれません。電子書籍の場合は、紙よりも流通コストはかからず、しかも、これが大きいはずですが在庫リスクからも解放されます。従来は自分たちが大きなコストとリスクを負うからこそ、パブリッシャーは一生懸命才能を探し、それを育て、プロデュースしようとしてきました。しかし紙から離れた電子書籍になると「まず配信して、動いたものを扱えばよい」という「市場原理主義」の世界に変容していく可能性があるのかもしれません。

 この世界では、売れる人と売れない人の2極化がより激しくなる可能性もあります。また「新人賞即デビュー売れっ子」などという人は、本当にほんのわずかのはずで、「売れたのが早い」と言われる大家でも、最初のころに作風のぜんぜん違う作品を発表していたりすることは、むしろ普通のはずです。「誰がどこで、才能を育てるのか」という課題も出てくるでしょう。

 従来は「雑誌」が機能していたために、読み切り作品やあるいは大家休載の際の代理原稿として新人の原稿を掲載し、そこで読者の反応を確かめ書き手を育てることができました。しかし雑誌のこうした機能は急速に縮小しつつあり、代替はまだ確立されていないのが現状だと思います。新人は単行本でデビューするしかないとなれば、これは出版社にとっても書き手にとってもなかなか厳しい状況です。

 しかし楽観的に考えると、デジタル化の結果「まず配信して」ということが可能になるのであれば、むしろ新しい才能がデビューしやすくなるのかもしれません。デジタルで頭角を現して、紙や映像などに作品が展開されていく流れが一般化するのかもしれません。もっともこれはケータイ小説のヒットが存在し、ケータイ漫画市場が年々拡大していることを十分に理解した上で言いますが、恐らく現場はまだ「可能性を模索している段階」ととらえていることと思います。漫画はまだよいとして、ケータイでテキストコンテンツを売る商売はなかなか難しいものです。

世界に向けて出版するという未来

 もうひとつ楽観的に考えると、電子書籍市場のインフラを使えば、世界に向けてコンテンツを売ることが可能になります。Amazonの「70%スキーム」でも「The title is made available for sale in all geographies for which the author or publisher has rights(著者もしくは出版社が権利を持つすべての地域で販売されなければならない)」と、国境をこえて利用可能であることが、むしろ条件になっています。これは書き手にとってはなかなか楽しみな話でもあり「いくらなんでも全世界で3000ファイルくらいは売れるだろう」と考えることも可能でしょう(これがやってみたら「全世界で52ダウンロードしか売れませんでした」などということが余裕であるのが、この商売ですが)。そうした時代には、現在のアフィリエイトがより発展的に整備されて、薄利多売でやってきたリアル書店と、そう変わらない利益率の「ネット書店小売りとその読者」の島宇宙が、たくさんできるのかもしれません。

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