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北斗の拳とIT言論──意外と共通する「結果は問わない」日本人の原理連載・部屋とディスプレイとわたし(2/3 ページ)

» 2012年07月06日 15時26分 公開
[堀田純司,ITmedia]

「動機が同情できれば……」の源流

 実は、日本史を振り返ると、リアル歴史でも同じような原理が出てくることに気がつきます。たとえば昭和初期の5.15事件や5.26事件のような、いわゆる「昭和維新」の暴走の時代。あの当時、事件の実行を担った若き軍人に世間は必ずしも非難の目を向けず、むしろ同情も大いに集まりました。

 ひとつには当時の“体制側”、政党政治にまったく人気がなかったこともありますが、彼らの動機には同情できる点があると、とらえられた。「自己の栄達のためではなく、広く地方で苦労する人々のため、社会の未来のために、身を投げうって事件を起こした」と受け止められたことが大きかったようです。

 理屈でいうと、テロは絶対に悪い。しかし心情としては彼らに同情してしまう。動機がよければ、結果については目をつぶる。むしろ結果を問わないその純粋さこそに、詩を感じる。こうした情緒は昭和期に限らず「判官びいきの国」日本の歴史でしばしば見られました。しかも、これにはきちんと思想的バックボーンまであります。陽明学という学問です。

 江戸時代、徳川幕府の官学というと、朱子学でした。これは「宋学」という異名の通り、中国の宋王朝に起源を持つ思想です。宋といえば異民族に苦しめられた国。華北に成立した異民族王朝、金に征服されてしまった王朝です。ちなみに私はこうした歴史を、「某ーエー」の歴史シミュレーションゲームで覚えました。

 それはともかく朱子学は(彼らから見れば)野蛮人に文明が征服されたという現実の中で生まれた思想であり、歴史を正義と悪に分類し、“王を尊び夷狄を撃て”という、ある意味で理想主義的な性格を持っていました。いわゆる「尊皇攘夷思想」ですね。

 この思想は、成立した経緯からしても、文明尊重。「知識と教養に基づいて正統な歴史認識を獲得し、その上で正義と悪を見極めるべし」という姿勢を生み出していきます。余談ですが「水戸黄門」で有名な水戸光圀は、水戸藩の文化事業として歴史を、いわば正義と悪に分類する歴史編さん作業に取り組みました。その費用は巨大で、藩財政を傾けるほどだったと言います。

 一方、もうひとつ中国発で日本の思想に大きな影響を与えたのが陽明学で、朱子学がどうしても知識偏重というか頭でっかちになりがちな側面があったのに対し、こちらは「知行合一」という原理を持っていました。

 知ることとは行うこと。結局これがすなわち「まずは知見を得て」という朱子学的な立場、現代でいえば「過去の実績やマーケティング調査、企画会議を入念に経て」というスタンスを「そんなことにかかずらわっているから物事が進まんのだ」と否定し、「知識とは行動を起こすエネルギーを持ったものでないと意味がない」という姿勢に、つながっていくことになります。

 史上この思想の信奉者として有名なのが、大塩平八郎です。幕府の役人であった彼が起こした反乱は、成功する可能性は低かったはず。しかし陽明学の徒であった彼にとっては「まず行動すること」そのものに意義があり、民の疲弊を知ってなにもしないことは、悪以外になにものでもありませんでした。ちなみにほかにも陽明学の影響を受けた人を挙げると、吉田松陰西郷隆盛河井継之助などが知られ、まだ若いうちに革命的な行動を起こして、志半ばで倒れた人が多くなります。

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