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「メガネ男子」その4・伊達とシャレオツ夏休み集中連載

» 2012年08月17日 19時09分 公開
[あさみ,ITmedia]

連載「メガネ男子」

あさみ

某業界の片隅でひっそりと書いている、いろいろと匙を投げた女子。メガネ男子研究をライフワークとする。5月の文学フリマにて同人サークル・久谷女子の有志と合同で同人誌「不機嫌メガネ男子論」を発表。Twitter:@adonis_fish


 これだけメガネメガネ騒いでアイコンもメガネなので当然眼鏡着用かと思いきや、残念ながら両眼とも視力1.2〜1.5をキープしてしまっていて、どうしても眼鏡を掛けることができない僕です。JINSやZoffが気になりつつも、以前に伊達眼鏡を試したら30分で頭が痛くなったので、いまいち踏ん切りがつかない……優しく背中を押してくれるメガネ男子はどこですか。

 だからというわけではないが、今回はメガネ男子萌え的視点から見た伊達眼鏡の取り扱いと、それにまつわる「シャレオツ」の概念についてお話ししたい。

 「シャレオツ」とはメガネ男子萌え界において、眼鏡を掛けて外見だけはメガネ男子を気取りながら、それに見合うメガネ男子的心性を持ち合わせていない“勘違い君”を蔑んでいう業界用語であり、彼らの多くがセルフレームなどファッション性の高い眼鏡を選択していることに因んでいる。ファッション性の高い眼鏡は自分をより良く見せよう(有り体にいえば「モテたい」)という努力の表れだろうに、思いとは裏腹に多くのメガネ男子萌えからその存在じたいが罪であるかのように罵られる、気の毒な男子たち、シャレオツ。たとえどんなイケメンであろうとも、シャレオツと見なされればそのへんの非メガネ男子以下の扱いを受けかねない。世知辛い現世に生きる男子のみなさまには、我が身を守るためにもぜひ理解していただきたい(理解したところで回避可能かは別として)概念である。

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 シャレオツの代名詞としてたびたび槍玉に挙がるのが伊達眼鏡だ。視力矯正の必要もないのに眼鏡を掛けるといえばいかにもオシャレでやっている感じがするし、ビジュアルばかりを前面に押し出した昨今の(僕らとしては似非といわざるをえない)メガネ男子ブームにおいても、伊達眼鏡はファッションアイテムの1つとして扱われている。実際、伊達眼鏡のかなりの部分がファッション性を主眼に置いている向きは否定しない。ジョニー・デップが好んだとかで2008年ごろから流行っているボストン型やウェリントン型セルフレームの伊達眼鏡(いわゆる「ダサ眼鏡」)を掛けてるひとなんかは、どう考えてもシャレオツの度合いが高いと思う。聞く話ではレンズの反射を気にしてコンタクトしたうえで度なしや素通しの眼鏡するひともいるんだそうですね。カメラ写りとかどうでもいいから レ ン ズ 入 れ と け 。

 と、思わず盛大なdisりから入ってしまったが、ではすべての伊達眼鏡がシャレオツなのかというと、そんなことは断じてない。先日の夏コミで販売した同人誌「不機嫌メガネ男子論」にも詳しく書いたが、僕は基本的に伊達眼鏡を容認している。というより、「伊達眼鏡かどうか」でメガネ男子を線引きすることは無意味だと考えている。実際、2次元では伊達眼鏡であることが明確でありながら(2次元では本当に目が悪いのかどうか明示されないことも結構ある)、メガネ男子と呼んで差し支えないようなキャラが登場する。

 有名どころでは視力2.0なのに「素顔は恥ずかしい」といって伊達眼鏡を掛けている「テニスの王子様」の忍足侑士くん。今どきの中3にしてノンフレームの丸眼鏡というチョイスからしてただ者ではない(そもそもテニヌはみなさんただ者ではないけど)彼が試合でたびたび使ったのが、完璧なポーカーフェイスで相手に動きを読まれないようにする無心の技だ。テニスの試合中のこととはいえ、一切の感情を殺す術を身に付けているときけば、へらへらと関西弁で軽口を叩く普段の姿も途端につかみどころがなく、伊達眼鏡も他人を内へ踏み入らせないために敢えて設けた壁のように思えてくる。この意図された(ように見える)仮面性こそ、彼が「伊達眼鏡キャラ」として絶大な人気を誇る理由なのだろう。決してみなさんが想像しているような ※ただしイケメンに限る などではない。はず。少なくとも僕はそう。

 シャレオツであることに「伊達眼鏡かどうか」は本質的に関係ない。重要なのは、生きていくうえで彼が「眼鏡を」必要としているかどうかだ。視力が悪すぎてコンタクトが使えないのでも、忍足くんみたいに「眼鏡がないと恥ずかしい」のでも、単に無頓着でコンタクトやレーシックという発想がないだけでもいい、とにかく「眼鏡がないとだめ」という切実さ。それなしに眼鏡を掛けているものは、度の有り無しにかかわらずシャレオツの誹りを受けるであろう。「メガネ男子がモテるらしいな!」とショップに駆け込んだそこの貴方、無駄な努力はやめて出てきなさい。

 そしてもうひとつ勘違いしてほしくないのは、シャレオツといいつつも「オシャレな眼鏡であるかどうか」はそれほど関係ないということだ。前述したようにメガネ男子にとって眼鏡は生命線なのだから、それなりのこだわりを持っていたところで別に不思議はない。選び抜いたブランドもののフレームを使っていたり、どこぞの兎さんのように同じ眼鏡を5つ持っていたり。逆にこだわりがないばかりに、店員さんに勧められるまま流行のフレームを手に取ってしまうパターンもあるだろう。本人の内なる必要性の元に掛けているのであれば、一見オサレなフレームごときでそのひとのメガネ男子性は1ミリも揺らぐことはない。

 要するにだ。もういちど原点に立ち返っていただきたい。見た目に惑わされてはいけない。きちんとした「心のメガネ」の持ち主ならば、裸眼だろうがオシャレフレームだろうが伊達眼鏡だろうが、どれも立派なメガネ男子である。ただそれだけのこと。そんな簡単なことにこれだけの紙幅を使わせたのは、「伊達=シャレオツ」の強烈なイメージを植え付けた(似非)メガネ男子ブームの影響だろう。そしてそれ以上に、その流行が眼鏡を単なるファッションとして扱い、ビジュアルだけの「メガネ男子」像をまき散らして世間の目を惑わせたことに対して、僕は激しい憤りを感じる。こちとらそんな皮相のことは一顧だにしていないというのに「結局は ※ただし(ry だろ」と決め付けられる精神的苦痛がお前らに分かるか。

 なんか最後はほぼ愚痴ですが、その1・その2の掲載直後にエゴサーチかけたら反応があまりにも「※ただし(ry」ばっかりだったのでむしゃくしゃしてやった。後悔はしていない。読者のみなさまにおかれては、「ビジュアルじゃないんですよ」、というところをよくご理解いただければ重畳です。

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