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「この世は生きるに値するんだ」 「風立ちぬ」の後をどう生きるか 宮崎駿監督、引退会見全文(2/9 ページ)

» 2013年09月06日 23時41分 公開
[岡田有花,ITmedia]

「今回は、本気だな」

――引退を正式に決めたのはいつで、鈴木さんとどういう会話をされたのでしょうか。

宮崎 よく覚えてないんですけど、「鈴木さん、もうダメだ」と僕が言ったことはありますね(笑)。鈴木さんは「そうですか」とか言って(笑)。それは何度もやってきたことなので、その時に鈴木さんが信用したかどうかは分かりませんが。

 ジブリを立ち上げたときにこんなに長く続ける気がなかったことは確かです。何度も、もう引き時なんじゃないかとか辞めようという話は2人でやってきましたので。まぁ今回は本当に、次は7年かかるかもしれないとうことに鈴木さんもリアリティを感じたんだと思います。そういうことで、答えになっていますかね。

画像 鈴木プロデューサー

鈴木 僕もそんなに正確に覚えているんじゃないんですけど、風立ちぬの初号(試写)があったのが6月19日なんですよ。たぶんその直後だったんじゃないかと思うんですよね。宮さんのほうからそういうお話があったとき、確かにこれまでも、いろんな作品で「これが最後だと思ってやっている」という話し方はいろいろあったんですけどね、そのときの具体的な言葉は忘れましたけど、今回はちょっと本気だなというのを、僕も感じざるを得ませんでした。

 というのは僕自身が、ナウシカから数えると今年がちょうど30年目に当たるんですけどね、その間、本当にいろいろありました。ジブリを続けていく間で、これ以上やるのは良くないんじゃないか、やめようか、やめまいかとか。いろんな話があったんですけどね。今回は僕も、それまで30年間、緊張の糸がずっとあったと思うんですよ。その緊張の糸が、宮さんにそのことを言われたとき少し揺れたんですよね。変な言い方ですけどね、僕自身が少しほっとする、みたいなところがあったんですよ(笑)。

 若いときだったらそれをとどめさせようとかいろんな気持ちも働いたと思うんですけど、自分の気持ちの中で、なんかかっこつけなんですけど、本当に「ご苦労様でした」という気分がわいた。そういうところもあるような気がするんですよね。僕自身は今なにしろ、引き続いて「かぐや姫の物語」という映画を公開しないといけないので、途切れかかった糸を縛ったりして現在仕事をしている最中なんですけど。

 細かいことまで話しますと、みなさんにどう伝えようかということは話し合いました。みなさんにお伝えする前に、まず言わなきゃいけないのはスタジオで働くスタッフだと思ったんですよ。ちょうど「風立ちぬ」の映画の公開というのがありましたから、映画の公開前に、映画ができてすぐ引退だと発表したら話がややこしくなると思ったんですよ。だから、映画の公開をして、落ち着いた時期……実は社内では8月5日にみんなに伝えました。映画の公開が一段落した次期、その時にみなさんにも発表できるかなと。いろいろ考えたんですけど、は9月の頭ですよね。そんなふうに考えたのは確かです。

風立ちぬが最後になる予感はあったのか

――(台湾の記者)台湾からの観光客には「ジブリ美術館」は外せない観光名所で、ファンは引退を残念がっています。引退後、時間があるので、海外旅行を兼ねて海外のファンと交流する予定はありますか。

宮崎 いえ、あの、ジブリの美術館の展示その他についてはわたしは関わらせてもらいたいと思っていますので、それはボランティアで、という形になるかもしれませんが、自分も展示品になっちゃうかもしれませんので(笑)、是非、美術館のほうにお越しにいただいた方がうれしいんですが。

――鈴木さんに伺いたいのですが、「風立ちぬ」が最後になるという予感があったのでしょうか。宮崎監督はこの映画を最後にすることに関して、引き際に関する監督なりの美学があれば伺いたい。

鈴木 僕は宮崎駿監督、宮さんという人と付き合ってきて、彼の性格からして、1つ思っていたことは、ずっと作り続けるのではないかと思っていました。死んでしまうまで、その間際まで作り続けるんじゃないか。すべてをやることは不可能かもしれないけれど、何らかの形で映画を作り続ける――

 という予感の一方で、宮さんという人は、35年付き合ってきて常々感じていたんですけれど、別のことをやろうというとき、自分でいったん決めてみんなに宣言する人なんですよ。だからもしかしたらこれを最後にそれを決めて宣言して、別のことにとりかかる、そのどっちかだろうと正直言うと思っていましたね。「風立ちぬ」が完成を迎え、その直後にさっき言ったようなお話が出てきたんですが、それは僕の予想の中に入ってましたんで、だから素直に受け止めることができたというんですかね、多分そういうことだと思います。

宮崎 映画を作るのに死にものぐるいで、その後どうするかは考えてなかったですね。それよりも映画はできるのか、これは映画になるのか、作るに値するのかというふうなことの方が、自分にとっては重圧でした。

――(ロシアの記者)宮崎監督は外国のアニメ作家から影響を受けたと聞いており、その中にロシアのユーリ・ノルシュテイン監督もいると思うが、その影響について詳しく教えていただきたいのですが。

宮崎 ノルシュテインは友人です。負けてたまるかという相手でございまして……ま、それほどじゃないんですけど(笑)。彼はずっと「外套」を作っていますね。ああいう生き方も1つの生き方だと思います。今日実はここに高畑監督も一緒に出ないかって僕は誘ったんですけど、まぁ、「冗談ではない」という顔をして断られまして、彼はずっと(引退せずに)やる気だなと思っていますが(笑)。

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