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「この世は生きるに値するんだ」 「風立ちぬ」の後をどう生きるか 宮崎駿監督、引退会見全文(9/9 ページ)

» 2013年09月06日 23時41分 公開
[岡田有花,ITmedia]
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「風立ちぬ」後をどう生きるか

――初期の作品は2〜3年間隔で発表されていましたが、「風立ちぬ」は5年かかりました。年齢によるもの以外に、時間がかかる要因はありますか?

宮崎 1年間隔で作ったこともあります。最初のナウシカ……ナウシカはちょっと違うんですけど、ナウシカもラピュタもトトロも魔女の宅急便も、それまで演出をやる前に手に入れていたいろんな材料がたまってまして、出口があったらばっと出て行くというふうな状態になってたんです。その後は、さぁ、何を作るか探さなきゃいけないという時代になったから、だんだん時間がかかるようになったんだと思いますけどね。

 あとは、最初の「ルパン3世 カリオストロの城」というのは4カ月半で作りました。それなりに一生懸命やって、寝る時間を抑えてでも何とかもつギリギリまでやると、4カ月半でできたんですが、そのときはスタッフ全体も若くて、長編アニメーションをやる機会は生涯に1回あるかないか、みたいなアニメーターたちの群れがいてですね、非常に献身的にやったからです。

 それをずっと要求し続けるのは無理なんで。年もとるし所帯もできるし、「わたしを選ぶのか仕事を選ぶのか」と言われる人間がどんどん増えていくというね。今度の映画で、両方を選んだ堀越二郎を僕は描きましたけど、これは面当てではありません(笑)。いやまぁ、そういうわけで、どうしても時間がかかるようになったんです。

 同時に、自分が1日12時間、14時間机に向かってても耐えられた状態ではもうなくなりましたから、実際机に向かってた時間はもう7時間が限度だったと思いますね。あとは休んでいるとかおしゃべりしてるとか飯を食ってるとかね。打ち合わせとか、これをああしろとかこうしろとかいうことは、僕にとっては仕事じゃないんですよ。それは余計なことで、机に向かって描くことが仕事で、その時間を何時間とれるかという。

 それがねぇ、この年齢になりますと、どうにもならなくなる瞬間が何度も来るというね。その結果何をやったかといいますと、鉛筆をぱっと置いたらそのまま帰っちゃう。片付けて帰るとか、この仕事は今日でけりを付けようというのを一切あきらめたんです。やりっ放しです。やりっ放しで放り出したまま帰るということをやりましたけど、それでも限界ギリギリでしたから、これ以上続けるのは無理だ。

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 「それをほかの人にやらせればいいじゃないか」というふうなことは、僕の仕事のやり方を理解していない人のやり方ですから、それは聞いても仕方ないんです。そういうことができるならとっくのの昔にそうしてますから。

 そういうわけで、5年かかったといっていますが、その間にどういう作品をやるか、方針を決めてスタッフを決め、それに向かってシナリオを書くということもやっています。やってますけど、「風立ちぬ」はやっぱり5年かかったんです。そういうふうに考えると、「風立ちぬ」の後どういうふうに生きるかは、まさに、いまの日本の問題で。

 この前ある青年がたずねてきて、「映画の最後で丘をカプローニと二郎が下っていきますけど、その先に何が待っているかと思うと本当におそろしい思いで見ました」っていう、これはびっくりするような感想だったんですけど、それはこの映画を今日(こんにち)の映画として受け止めてくれた証拠だろうと思って、それはそれで納得しましたが、そういうところに今、僕らはいるんだということだけは、よく分かったと思います。

 なんか、質問に答えたことになるのかならないのか分かりませんけど、そいうことです。

星野 最後に改めてあいさつを。

宮崎 こんなにたくさんの方が見えると思いませんでした。本当に長い間いろいろお世話になりました。もう二度とこういうことはないと思いますので、ありがとうごさいます。

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