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奇抜なアイデアを形に、「実況」を味方に――広がる「自作ゲーム」の裾野 メジャーシーンと違う豊かさを(1/5 ページ)

» 2015年06月19日 13時00分 公開
[山崎春奈ITmedia]

 個人・少人数の開発チームが手掛け、ダウンロード販売や即売会などで頒布される「自作ゲーム」が業界内やゲームファンの間で存在感を高めている。ニコニコ動画で「ゲーム実況」の題材として取り上げられることも人気に火がつくことが多く、ユーザーの間で草の根的に認知が広がっていくのが特徴だ。「青鬼」「ゆめにっき」「クロエのレクイエム」など、書籍化やアニメ化、映画化につながるケースも出てきている。

photo 小説や漫画に展開する「クロエのレクイエム」「ゆめにっき」

 高スペックなハードを前提としたメジャータイトルと比べると、当然、グラフィックやゲームシステムも素朴で質素な作品が多い。それでも、奇抜なアイデアや設定の妙を武器に、時にはバグまでをネタにしながら、次々に新しいゲームが“発見”され、熱いファンを増やしている。

 海外ではインディーゲームと称され、UnityやSteamなど、個人開発者も利用できる開発プラットフォームや配信サイトも充実し、国内外で盛り上がりを見せる自作ゲーム市場。ゲームライターの戸塚伎一さんに、ここまでの歩みとジャンルとしての魅力を聞いた。


――日本国内の「自作ゲーム」の歴史を教えてください。

photo ゲームの祭典「闘会議2015」の自作ゲームエリアではレトロPC時代の作品が集められ、世代を超えて遊ばれた

 70年代後半からパーソナルユースのコンピュータが普及し始め、テレビゲームを自分で作ろうとする人が徐々に現れ始めました。個人・少人数体制による制作環境の土壌が確立されたのは、80年代前半。安価モデルのPCのリリースに伴ってアマチュアプログラマー人口が増加し、ゲームプログラム投稿雑誌や、メーカーが主催するゲームプログラムコンテストが活気づきました。「ドラゴンクエスト」などで知られる堀井雄二氏、中村光一氏らも、当時のコンテストを機に頭角をあらわした“自作ゲームクリエイター”たちです。

 80年代後半からは、本格的なプログラム言語学習をしなくても、一定クオリティ以上のゲームを制作できる環境が、整い始めます。その代表格であり、現在もなお、主な自作ゲーム制作手段として利用されているのが、アスキー(現・KADOKAWA)の「ツクール」シリーズです。90年代中盤からは、シリーズ作がPCと並行してコンシューマハード向けにもリリースされるようになったことで、ゲームを自作することの間口はますます広がりました。

photo 「RPGツクールVX Ace」の操作画面

 90年代終盤〜00年代初頭にかけては、「Leaf」「Key」などのアダルトゲームメーカーの作品によって、ノベルゲームというジャンルへの注目が高まりました。その背景には、Windows PCの普及と、「NScripter」「吉里吉里」といった、商用利用に耐えうるノベルゲームを制作できるPC用スクリプトエンジンが、フリーウェアとして誰でも利用できる環境がありました。これにより、人気タイトルに影響を受けたユーザーたちが、表現手段の1つとして「ゲームの自作」を気軽に選択できるようになりました。「ひぐらしのなく頃に」も、この流れで生まれた作品です。

 ハードの高性能化や、制作ツール・ゲーム開発環境のバージョンアップに伴って、自作ゲームの平均的なクオリティは確実に上がるものの、その存在が作り手のコミュニティーや同人マーケットの枠を超えて注目されることは、00年代に入るまでは、ほとんどありませんでした。

 風向きが変わったのは、mixiに代表されるSNSの浸透によって、インターネット経由の情報拡散力が飛躍的に上がった、00年代前半です。Webブラウザ上でプレイできるインパクト重視のFlashゲームを中心に、「珍しくて面白いネタ」の1カテゴリとして、ライトゲーマー・一般層に徐々に定着していきました。

 この流れを決定づけたのはやはり、2007年に正式サービスを開始した「ニコニコ動画」でしょう。

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