あまりにも有名なカードゲームなので詳しい説明は省くが、要はプレイヤーが「村人」と村人になりすました「狼」とに分かれ、自らの正体を隠しながらディスカッションを通じて正体を探っていくゲームである。
ゲームの進行中、村人も狼もともに「自分は村人である」と主張するのだが、誰が本当のことを言っているのかは分からない。嘘をつくことはもちろん裏切りや同盟もルールとして認められている。
このとき村人役のプレイヤーは、自分が村人であることをそのまま主張すれば良いと思ってしまう。受け取り側が誤解するのは疑い深すぎるのが原因だと。ともすれば「本当なのにどうして信じてくれないのか」と感情的になってしまいがちで、かえって自分の本意から遠ざかってしまう。
対する欺く側の狼プレイヤーはどうか。狼の語ることは嘘なのだが、受け取り側が納得しやすい話は何なのかをいつも考えなくてはいけない。このため主張がいかにもそれっぽく、分かりやすくなるはずだ。
「人狼ゲーム」においては、相手が納得できるような説明をすることが最も重要なのだ。
ネット上での振る舞い方も、これと同じではないか。いくら本当のことを「本当だ」と言ってもそれだけでは伝わらない。人は、自分に悪意がないことを正直に伝えてるのに疑われるのはおかしいと思いがちだが、そうではない。
必要なのは、いわば「狼の技術」。聞き手が自分の話をどう受け取るか、第三者的な視点がつねに必要になる。相手が腑に落ちる説明とは、そういうものだ。
もちろん、嘘をつくことを推奨しているわけではない。どんな場面であれ嘘や誤魔化しは禁忌だ。企業アカウントともなればなおさらだろう。
2017年10月28日、ミスタードーナツの公式Twitterアカウントが競馬予想ツイートをしてフォロワーを驚かせるという騒ぎがあった。当初はアカウントの乗っ取りが疑われたが、同社は投稿業務を委託している運営会社の「誤爆」だったと説明し、謝罪。ツイートを削除した。
「腑に落ちる説明」には違いない。会社としては正しい対処だった。が、これがまた炎上を招くことになった。公式アカウントの「中の人」が社員ではなかったということが明らかになって、フォロワーを失望させてしまったのだ。
ソーシャルメディアの運用を社外のプロに任せることは決して悪いことではない。炎上への備えという面では、むしろ正しいだろう。しかし、社員だと思って接していたフォロワーにとってはどうか。「誤爆事件」で初めて外注スタッフだと知ったユーザーが裏切られたような気持ちになったのはよく分かる。
つまり「黙っていたら分からないだろう」という運用方法が不味いのだ。ユーザーを舐めていると受け取られても仕方がない。外注スタッフに委託するにしてもそれを誤魔化すのではなく、もっと他に良いやり方があるはずだ。
知らず知らずの失言や非礼な振る舞いも、相手が友人知人の場合なら平謝りだけで許されるかもしれない。ちょっとした誤魔化しが処世術として黙認されるのも、ごく限られた人間関係のなかだけにとどまるだろう。
われわれはせいぜい、そうした数人数十人クラスの「町内」で暮らしていくためのノウハウしか持っていない。その同じノウハウが、ネット上の数千数万の人々を相手に通用するはずがない。
ネット社会で暮らしていくためには、明らかにこれまでとは違うノウハウが求められる。もしかするとこれからは、子どもたちに幼少期から「人狼ゲーム」に親しませ、相手がどう受け取るかを考えられる客観的な視点を身につけさせるべき時代なのかもしれない。
もはや「常識」は変わってしまったのだ。
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