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4年前の「AIがチューリングテスト合格」騒動は何だったのか(2/3 ページ)

» 2018年07月26日 06時00分 公開
[松本健太郎ITmedia]

 レディング大学の華々しいプレスリリースとは違って、当時の海外メディアの報道は米CNET米Ars Technica英Guardianなど懐疑的な見方が多数を占めています。ある媒体は「It's not a "supercomputer," it's a chatbot.」と全否定です。

 「誤解だらけの人工知能」(光文社)著者の田中潤さんは、「Eugene」君について、(1)どのような対話があったのかログが全て確認できない、(2)ソースコードが公開されていないので検証できない、(3)再現できないものは科学ではない、として「やらせだ!」と明確に否定しています。

 また、ダートマス会議の発起人の1人であるマービン・ミンスキー氏も「うまく設計されていない『実験』から何も学ぶことは無い」として、結果に対して否定的な立場にあります。

 ちなみに、チューリングテスト合格時は「Eugene」君初号機と対話できるページも公開されましたが、現在では閉鎖されているようで、挙動すら確認できません。それにしても、ディレクトリ・ページ名に“bot”と付けるなど、どこか「頭隠して尻隠さず」の体ですらあります。

 私もどちらかといえば懐疑的です。

 1つ目は、貴族院議員や俳優など専門家とは呼べない人が、「Eugene」君が人か機械かを評価した点。2つ目は「Eugene君」が13歳で、英語は第2言語という設定。つまり、真正面から評価されるのを避けており、知能を確認するはずが、人をだますのに集中したことに納得がいきません。

 チューリングテストとは、人をだます手法を競い合うものでしょうか?

 しかし、だまされる方が悪いという見方もあります。そもそもチューリングテストとは人工知能学会の説明を読めば分かる通り、「知能」を厳密に定義して、それをコンピュータが満たせば合格するのではなく、雑に言ってしまえば「人間っぽく振る舞えれば良し」としています。

 つまり、「知能」を人間に内在する能力としてではなく、コミュニケーションを通じた振る舞いで判断しようとしています。テスト方法自体がそもそも粗いのではないかという意見にもまた同意せざるを得ません。

チューリングは何を試したかったのか?

 そもそも、チューリングはテストを提唱した「COMPUTING MACHINERY AND INTELLIGENCE」論文でどのように説明し、何を訴えたかったのでしょうか。改めて、論文に目を通してみましょう。

 論文は「Can machines think?(機械は考えることができるのか?)」という問いから始まり、その方法として(A)男性、(B)女性、(C)質問者の3人によって行われる「模倣ゲーム」を提案します。

論文 アラン・チューリングの論文「COMPUTING MACHINERY AND INTELLIGENCE

 このゲームの目的は、2つの部屋の内どちらに男性と女性がいるかを質問者が当てることです。男性は女性のフリをして質問者をかく乱させます。ちなみに、声音がヒントにならないよう、やりとりは紙を通じて行われます。ネット黎明期に、よくネカマに引っ掛かった私としては懐かしさすら感じる実験です。

 このお題を提示した後、チューリングは「機械が男性の役割を担ったら何が起こるか?」と思案します。質問者は機械を人間の男性と間違えてしまうのか。この問いが「機械は考えることができるのか?」に取って代わる問いになります。

 つまり論文に厳密に準拠するならば、2つの模倣ゲームの対照実験を通じて、質問者の正解率に差があるかどうかを見るのが真の意味でのチューリングテストになります。つまり、世間に言われているところの「チューリングテスト」は、歴史の流れにおいて形を変えた“もどき”ともいえます。

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