誰かが火を付けても、それを静観することができれば、過度なバッシングも起きないと思います。今必要なのは、自分が本当にその話題に触れる必要があるかという判断力だったり、スルー力といった「フィルタリング能力」なのかもしれません。
そもそも上記のような10年前の発言をやり玉に上げられると、それを消しても怒られるし、修正しても怒られます。弁解しても怒る人がいるでしょう(それが本当に怒るべき当事者かどうかはさておき……)。
もはや何をしたとしても、過去は消せません。起きたことは理解しつつ、内容に見合う以上に責められているようであれば、積極的に話題にしないことで炎上に加担しない、ということも必要です。
このような事件があると、発信者は萎縮します。Buhitterの一件は、開発者に対して「規約にのっとって利用したとしてもバッシングに遭ってしまう可能性」を見せてしまいました。
ハリウッドの大物俳優が次々とTwitterアカウントを閉鎖、削除しつつあるというのも、今回の事件の“成果”といえるでしょう。本当にそれが正しい道筋だとはあまり思えません。
SNSにおける最も無粋な発言は「私が不快だからあなたのその発言やめてもらえませんか?」だと思ってます。マイクロブログサービスTumblrで見た受け売りですが「アウトプットはどんどんやるべし、フィルタリングは各自でやるべし」がインターネットの世界においては正しいと思っています。
とはいえ、それも単なるマイルールでしかないので、SNSは少々、生きづらい世界になりつつあります。
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「ローチケ騒動」が教えてくれたもの 炎上の“火付け役”は誰かCopyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
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