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» 2019年01月29日 07時00分 公開

平成のうちに知りたい元号のこと:元号はいつから使われている? 意外に知らない元号の話(前編) (1/2)

普段特別な意識を向けることなく使っている「元号」。そもそも「元号」とは何なのでしょうか、なぜ天皇が変わると改元するのでしょうか。意外に知らない「元号」や「改元」に関する豆知識を、前後編の2回に分けてお届けします。

[山崎潤一郎,ITmedia]

新連載:平成のうちに知りたい元号のこと

「平成」もあと数カ月。第三次産業革命といわれるように、現代社会にはコンピュータやロボット、ネットワークなど、情報通信が広く普及しています。そんな社会が迎える初めての改元ということもあり、ITシステムやビジネスへの影響を懸念する声も上がっています。

この連載では、元号の生まれや改元の歴史、改元対応に追われる業界の声まで、平成のうちに知っておきたい元号と改元の話を幅広く紹介します。

 「平成」も残すところ3カ月となりました。4月1日に新元号発表、そして5月1日には、皇太子さまが新天皇に即位され「改元」のときを迎えます。普段、特別な意識を向けることなく、書類等にオートマチックに記入している「元号」ですが、そもそも元号とは何なのでしょうか。

元号はいつできた?

 元号は、年を記録する方法(紀年法)の1つ。「平成31年」のように「元号○年」という形で年を表したのが、日本のみで使われている「和暦」です。

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 生活者目線で元号をみると、いろいろな意見が聞こえてきます。例えば、「和暦は換算が面倒だから西暦に統一すればいい」「改元のたびにシステムを変更するのは、社会的コスト損失」などです。実際、行政が発行した過去の公式文書を閲覧するときや、履歴書を書く場合など、和暦西暦換算表を横目でにらみつつ「ええい、めんどくさい」などと愚痴をこぼした経験は、歳を重ねた世代なら多かれ少なかれあるかと思います。

 一方で、「元号は民族のアイデンティティーであり、独立国家の証しである。よって子々孫々この伝統を継承していくことが、われわれの努めである」といった考え方もあります。こうした考えには、元号が生まれた歴史的な経緯が関わっているかもしれません。

 元号は、飛鳥時代の「大化」(西暦645年)から現在の「平成」まで231個が存在します(14世紀の南北朝時代に併存していた元号を全て数えて247個とする向きもあります)。元号の生まれについては文献により諸説ありますが、大化以前には、オフィシャルな意味で日本の独自元号は定められていなかったとされています。

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 なぜなら、当時の中国が日本を含む周辺諸国に、独自の年号(元号)を制定することを認めなかったからです。周辺国は、中国を中心とする世界秩序の一員として位置付けられていました(中華思想)。

 天皇を中心とした古代国家を形成しようとする過程で、オフィシャルな元号がないのは、古文書や外交文書を記録する際さぞ不便だっただろうと心配になりますが、一部には「干支」や「私年号」を使っていたという記録も残っています。

 その後、大化の改新で天皇を中心とした律令体制が確立したことで、日本国内でオフィシャルな元号が定められました。ただ、正式に「大化」が定められた後もしばらくは、中国に遠慮して、外交文書や公式文書には年号を干支で記していたという記録もあります(諸説あります)。しかし、大化から50余年が経過した「大宝」(701年)に発布された大宝律令によって、「公式文書には日本の元号を記するように」と定められました。

 そうなると気になるのが中国の出方です。時の中国(唐)皇帝は、中央集権による統治が確立した日本から、独自の律令と年号を記した「国書」を持参した遣唐使に対し、敬意を表したそうです。独立国家として元号を持つことが、めでたく中国に認められたわけです。

 「元号は民族のアイデンティティーであり、独立国家の証しである」といった主張の根底には、こうした経緯があるのかもしれません。

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