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ITmediaの記事配信システムを作った男 ベルリンからエンジニアの舞台裏とテレワーク原体験を語る(2/3 ページ)

» 2020年06月05日 12時02分 公開
[Masataka KodukaITmedia]

 30歳を過ぎてからの初サラリーマン体験がソフトバンク・ジーディーネット。ものすごく緊張していたのだが、蓋を開けてみると、自分が想像していたサラリーマンの生活とは、大きく異なった生活が待っていた。「あなた、フツーのサラリーマンになったと思ったのに、何で毎日、正午前まで寝ていられるの?」と元妻が言う。だいたい毎日、正午前まで寝て、それから午後2時ごろ出社。そして終電前まで仕事をして帰宅する。

 当時、子供たちが幼かったので、夕飯くらいは一緒にとりたいという思いもあり、同僚に相談したが、「日本の企業が新製品などのプレスリリースを行うのは、だいたい午後3時など、お昼を過ぎてから。それを取材して記事にして公開するという編集者の仕事のピークは、どうしてもその後の時間帯になります。これは、インターネットメディアとしての仕事柄、どうしようもないですよね」。確かにそれが仕事だ。

 筆者は技術者として勤務していたのだが、会社のサーバ室や机の隣に、MacUserの編集長だったMさんからもらったMIDIギターを置いていて、気分転換にギターを練習していた。別に暇だったからというわけではなく、2000年代初期は、現在のAWS(Amazon Web Services)やGCP(Google Cloud Platform)など「インフラを意識せずに開発者は創造的な開発に集中できてハッピー!」的なサービスは存在しないので、全てのサーバ、ネットワーク、データベースなどを自ら構築、管理しなければならない。

 そしてこういった、いわゆる“インフラ系”の作業では、ものすごい「待ち時間」が発生することが多々あった。例えば、OSのファイルシステム再構築だとか、OSの再インストールだとか、6時間待つなどはいい方で、2〜3日放置して待つ、みたいな仕事が頻繁に発生した。そういう待ち時間、徹夜作業でサーバ室宿泊を余儀なくされた夜は、会社に置いてあるギターが心の支えだった。また、本番環境のサーバがあるデータセンターには、同室に某漫画販売チェーンのサーバラックがあり、その前面パネルにはセーラームーンのポスターが貼られていた。サーバメンテナンスで家に帰れない夜、その月野うさぎの微笑みにも癒しをもらった。赤坂のカプセルホテル兼安サウナの漫画室も忘れられない。

 これは特筆すべきことだと思うが、アイティメディア(2004年に社名変更した)、特に自分が所属していたエンジニア部門では既に2000年代初頭から、テレワークが当たり前だった。自分と主にペアで開発を行っていた同僚Mは、「今日は、咳が出るから自宅作業します」というメールを出して自宅作業をしていた。まさに、今回のコロナ禍での働き方の先駆者ともいえるワークスタイルだと思う。「風邪引いてるのに、こんなに頑張って出社してます、って本当に他人に対する配慮が足りないよね」などと、彼とはよく意気投合し、一緒に開発していて最も楽しい仲間だった。

 自分も、1週間に出社したのは1日だけ、ということもよくあった。自宅からの開発や保守運用作業であっても、仕事としての結果をきちんと出していれば、他はあまり問われないという自由な気風が、当時の会社にはあった。前述したように、2000年代初頭のインターネット業界では、予期せぬトラブルによって帰宅できない、休日も出勤、深刻なトラブルの場合は徹夜も当たり前、という事態がしばしば発生したので、経営陣にとってはその重労働との駆け引きで自宅作業もOK、という判断だったのだろうと推察している。とにもかくにも、こういった自由な社風のおかげで、自分のサラリーマン歴として最長の6年をアイティメディアで過ごすことができた。飽きっぽく転職歴の多い自分にとっては奇跡的な事件だ。

photo 一時期、技術チームとデザイナーチーム間で、駄菓子の新作を買い集め、午後、お菓子休憩をしながら、新作を品評することが流行した。それを社内放送番組にしようと、デザイナーG氏が作成した番組ロゴ

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