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開発者の「記者イジメ」に遭いながらもそのマシンが欲しくなった、その背景にある熱い物語【新連載】西川善司の「日産GT-Rとのシン・生活」(4/4 ページ)

» 2021年10月23日 08時00分 公開
[西川善司ITmedia]
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日産GT-Rにもあった熱いドラマ

 日産GT-Rについては、2007年暮れにデビューしたことは知っていたが、値段は高いし、もう、1990年代に一世を風靡したスカイラインGT-Rとは別モノだし……で、あまり身近に感じてはいなかった。むしろ自分に関係のない車種という認識だったといってもいい。

 しかし、この2010年の出会い(というか「いじり?」)をきっかけに、さらには後の水野氏とのインタビューを通じて、日産GT-Rという車に、強い物語性を感じるようになってしまったのだ。

 一連の騒動で、今でこそあまりイメージのよくない当時の日産の社長、カルロス・ゴーン氏だが、2000年代初頭に立ち上がった日産GT-Rの開発に関しては、このゴーン氏主導の肝いりプロジェクトとして立ち上がった。いわばゴーン氏自身がプロデューサーの立場を務めていた。

 水野氏によれば、最初、ゴーン氏から直接「日産GT-Rはお前が作れ」と命令されたそうだが、その時「お断りします」と応えたという。意外な返事に驚いたゴーン氏は「なぜだ?」と聞き返したそうだが、「今の日産の体勢で作ったとしても世界に通用するスーパー(スポーツ)カーなんて作れるはずないからです。やるだけ無駄です」と返答したらしい。

 普通ならばゴーン氏からエヴァンゲリオンの碇ゲンドウばりの「じゃあ、もういい。出ていけ」の一言で終わりそうな話だが、ここでゴーン氏から意外な提言が出たそうだ。「だったらお前が好きなようにやれ。不都合が出たら、俺の名前をふんだんに使え」といったそうだ。ゲンドウとは大違いである。

 この他、水野氏から聞いた開発秘話的なエピソードは、いずれ本連載で紹介していくこともあるかとは思うが、今回はここまでとする。

 その後、水野氏は、GT-R開発に着手。以前より暖めていたアイデアを具現化していくことになるのだが、まるでドラマのような話が続く。前述した馬力、タイヤ、車重などはそのほんの一部のエピソードになる。ボディー、エンジン、足回り、駆動システム、あらゆる車両の構成部位においてそうしたエピソードがあることを知らされた筆者は、以降、「一体どんな車なんだろう?」と興味を沈めることが出来なくなってしまったのである。

photo 日産GT-Rのドアミラーに相対したAピラー脇のなにげない突起。これは単なる見栄えのためのデザインではなく、そこにも物語が隠されている。
photo 水野氏が日産GT-Rのテスト車両を高速巡航で走らせていた際に、走行風がドアミラーの間を抜けるときに起こる風切り音が気になったことがあり、これを低減するために水野氏自らの発案で開発された突起なのであった。この突起は空力パーツなのであった。「神は細部に宿る」的なエピソードである。

 そこから約2年後、筆者は、最初の日産GT-Rを手に入れることになる。

photo 水野氏と筆者。後ろにあるのは当時の筆者の愛車の日産GT-R(2012年モデル)
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