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なぜ「ネ申エクセル」は生まれたのか 誕生を目撃した元市役所職員が語る“美しさ”の追求(2/3 ページ)

» 2022年03月31日 10時00分 公開
[井上晃, 山川晶之ITmedia]

「書院」のレイアウトを「Word」で再現できない

 そして、こうした背景のもと、神Excelが誕生するに至るうえで2つ要素が大きく関わってくる。ひとつは、「行政文書が規則に縛られたものである」ということ。もう一つは、「ワープロ専用機がPCのワープロソフトへと置き換わっていった」ことだ。

 まず、行政文書は、規則のもとで決められたルールに基づいて作られるため、もともと文書ファイル作成にあたっては独特の美意識があったという。角氏は次のように説明する。

 「例えば、自治体における“申請書”というのは、個人の方が、行政に対して、手続きをするための法定調書です。これは、法律の下で定められる“条例”や“規則”とか、重々しい法規のルールのなかで定められているもの。例えば、条例Aのもとで、一定の申請書というのを使うことが決められている。具体的に、こんな様式の用紙を使うと定められているのです。その枠組みのなかで用紙を作るわけだから、レイアウトは定められてきます。番号があって、サインのスペースがあって、というレイアウトの話です。例えば、書類の右肩に文書番号が示されていて、その下に発出した日付が書かれている。これらの端は、ぴたっと一致していることがルール化されていました」(角氏)

自治体の申請書はフォーマットが決まっている(引用:大分県佐伯市「公文書作成の手引」より)

 「あとは、市議会の答弁も、レギュレーションが厳しかったですね。改行のピッチはいくつで、一行の文字数は何文字、合計の文字数は何文字までに収める、と決まっていましたから。これは答弁にかかる“時間”を推測するためなんですよ。会派ごとに議席数に応じて公平に時間を割り振らなければいけないので、1つの答弁に使える分数を守るうえで、正確な文字数で整える必要がありました。『自民党の議員が40人いて、第二会派が30人いるから、この答弁は900文字までで作れ』みたいな指示があったわけです」(角氏)

 そして、こうしたワープロ時代の美意識や文化を伴ったまま、時代とともにハードウェアはPCに、使用するツールは「一太郎」や「Word」といったワープロソフトに変わっていった。こうした変化に伴い、レイアウトを整えるコストが課題になっていった、と角氏は語る。

 「ハードウェアがPCに変わっていくなかで、国は当然『一太郎』シリーズを推していました。例えば、厚労省から送られてくる書類は一太郎でしたので、それに対応できるように一太郎を入れていた部署もありました。でも、自治体が導入するPCに標準で入っていたのはOfficeだったわけです。次第にWordが主流になっていきました」(角氏)

 「Wordでは『文の端をピタッとそろえるような処理』ができませんでした。ワープロの『書院』シリーズならファンクションキーの操作で簡単に行えたのに、PCだと均等割り付け機能がなかったり、機能が未成熟だったりして、文書を整えるのに恐ろしく手間がかかったんです。そして、幅をそろえたとしても、Wordには“文字を縦方向にそろえる”という発想がなかったため、等幅フォントもなく、きれいな仕上がりにならない。同じマニュアルに従って作ったはずなのに、出来上がる文書のレイアウトはバラバラという事態になりました。これはタイプライターを使ってきた国のツールだと思いましたね。文字数がカウントできるようになったのは便利でしたけれど……」(角氏)

誰かが「Excelならワープロのレイアウトを再現できる」ことに気づく

 こうした時代の変化に伴う課題があったうえで、神Excelは自然発生していったと角氏は話す。角氏がこの点に詳しいのは、ほぼ全ての文書に目を通すという役割を担っていたからだ。

 「文書事務の決裁をとり、発出するうえで、文書番号というのを記録しなくてはなりません。例えば、大阪市の民生局がその年度の982番目に出した文書として、何号というユニークな番号を出して、どの文書なのかを照らし合わせられるように記録します。決裁が終わった段階で番号をチェックしなければなりません。そのチェックをやっていたのが、僕でした」

フィラメントCEOの角勝氏

 「ある頃に、本文のところがなんだか“詰め詰め”だな、と思った文書が出てきまして、なぜだろうと思っていたらExcelで作られていたんですよ。神Excelは、誰か一人が考えた、というよりは、自然発生的に市役所や行政におけるテクニックとして波及していったのではないか、と僕は思います」(角氏)

 こうした当時の文脈に従って考えれば、神Excelは単に効率が悪いものでは無く、自治体の救世主だった、と角氏は言う。

 「どこかのタイミングでみんなWordを見限ったのでしょうね。そして、誰かが“Excel方眼紙”という手法を発見して、それがやりやすいとわかった。例えば、通知文の表紙に書くサマリーのことを『鏡文』と呼ぶのですが、これはWordだと作るのが難しかった。でも、Excelでできると誰かが気づいんたのでしょうね。“方眼紙を作れば、強引ではありつつも再現性高く見た目を整えられる”というレイアウト能力の高さが評価されたのです」(角氏)

 「正直、『ありがとうExcel、君のことは悪く言わせない』という思いですよ。僕自身も、オートシェイプ機能や、セルの範囲を指定して保存できるカメラ機能などに大変お世話になりました。例えば、それ以前だったらデザイン会社に頼っていたパンフレットなどの印刷物が、内製できるようになって、制作にかかる期間は短く済み、費用も浮くようになりましたからね」(角氏)

 ちなみに、最初からWordがレイアウト機能を備えていたら神Excelが普及することはなかったと思いますか?――という質問に、角氏は「はい」と答えた。

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