4月末を過ぎると、Engadget日本版とTechCrunch Japanの記事の閲覧が不可能になる。メルマガで連載している矢崎飛鳥さんとの「対談」でも触れているので、詳しくはそちらもお読みいただきたい。
こうしたことは過去にも例がなかったわけではない。
Webメディアだけに限らず、個人のブログがサービス終了によって一斉に読めなくなる、ということもあった。2019年に、「Yahoo!ブログ」が終了して以前のブログが読めなくなったことは、その典型例だろう。
それらはどういう意味を持つのか?
少し考えてみよう。
この記事は、毎週月曜日に配信されているメールマガジン『小寺・西田の「マンデーランチビュッフェ」』から、一部を転載したものです。今回の記事は2022年4月25日に配信されたものです。メールマガジン購読(月額660円・税込)の申し込みはこちらから。さらにコンテンツを追加したnote版『小寺・西田のコラムビュッフェ』(月額980円・税込)もスタート。
「記事がなくなってもいいんじゃないか。調べごとをする人にしか関係はない。どうせいつかはなくなるものだから、次に進むことのほうが重要」
「記事はWayback Machineなどのインターネット・アーカイブで読めるから」
記事がなくなる、という話になると、こういった意見が聞かれることがある。
でも、筆者はこの意見には反対する。
なぜなら、多くの人の認識の中で「Web検索で出てこないものは、なかったこと」になってしまうからだ。
真剣に調べ物をする人にとっては、Webから記事がなくなることは、確かにそこまで致命的ではない。新聞や雑誌のアーカイブを調べる方法もあるし、確かに、Wayback Machineなどを活用することもできる。手間が増えるだけで、調べられないわけではない。
だが、世の中に調べ物をする人、ちょっと気になって検索する人は多数いる。誰だって日常やることだろう。別に新しい話を調べるばかりではないのだ。
よくも悪くも、我々は「Webで見つからないものは存在していない」と思ってしまいがちだ。
たとえば、SNSなどでは「過去の認識」について、その時代を過ごした人とそうでない人の間でのズレが論争の元になることも多い。Webに大量の情報が集まり始めた2000年くらいからの時代しか知らない人から見れば、Webは「過去の情報がちゃんとある場所」と認識している。だから、ネットで検索して記事が出てこなければ、「あった」「こうだった」という認識に気づけもしない。
そこで他の人が実情を伝え、理解を深めてくれるならいい。だが、たいていはそこまで至らず「ふーん、そうか」で終わってしまうものだ。
この点が面倒なのは、Web検索においては「検索結果の上に出てくるものほど強い」という特性があるからだ。
本当はちょっと違ったことでも、別のメディアやブログが孫引きで記事を作っていくと、それがPVを伸ばしてしまい、消えた記事にあった「当時の認識」が上書きされてしまう。記事が存在してもそういうことは起きるが、記事がなくなるとさらに起きやすくなる。
せめて「本気で探す人でなくても、ある程度当時のことにアクセスできる環境」を作っておくことが重要だと考えている。
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