2024年の芥川賞を受賞した『東京都同情塔』(九段理江著/新潮社)は、「一部がChatGPTなどの生成AIで書かれた」という話題が一人歩きしている。作品を読む前に、「芥川賞作『ChatGPTなど駆使』『5%は生成AIの文章そのまま』 九段理江さん『東京都同情塔』」という見出しで記事を書いた筆者にもその責任の一端はあると反省している。
その後、作品を買って読み、「なんだこれは」と圧倒された。読む前にイメージしていたのは「一部の表現を実験的にAIに任せてみた小説」だったが、そんな生やさしいものではなかった。
舞台は2026年ごろ。ChatGPTのような「文章構築AI」を使うことが、スマホで検索するように当たり前になったごく近い未来だ。その時、社会は、人間は、どう変わり得るかが、ベタベタとした手触りで生々しく描かれている。
それはいかにも「ありそうな」未来なのだが、なんとも言えない気持ち悪さを覚える社会でもあった。
作品の核は言葉とコミュニケーション……外来語(カタカナ)と、インターネット、生成AIなどによって変わってきた言葉と、それに合わせて変化する人間の姿そのものだ。
現代の人々は、言葉を発する時、いわゆる「ポリコレ」(ポリティカル・コレクトネス/政治的妥当性)を気にするようになってきた。ポリコレとは、人種や性別など特定のグループに対して、差別的な表現を避ける態度のことだ(作中では「ポリコレ」という言葉は使われていないが)。
この記事を書いている筆者も、広くネットに無料公開するテキストは「誰かを傷つけないか」「誰かから怒られないか」を強く意識し、できるだけ批判の隙がないよう気を付けて執筆する。SNSでの発信は、それ以上に慎重になる。「SNSで“問題発言”すると、簡単に拡散して炎上する」というイメージがあるからだ。
文章生成AIはその極北(この表現もポリコレ的にOKか不安)だ。ChatGPTに質問したことがある人ならば、生成AIがいかに「無難」で「非差別的」な回答しかしないかを知っているだろう。
作中に登場する文章構築AI「AI-Built」は、ChatGPTと同等かそれ以上に非差別的でポリコレ的にOKな回答を、スルスルと紡いでいく。AIに質問することが当たり前になった未来には、人の発言や社会からも差別的な要素が減り、それを学習するAIはさらに非差別的になる。それとともに、言葉はより曖昧になっていく……そんな世界が描かれる。
作者の九段さんは、直木賞の受賞会見で「今回の小説は、ChatGPTのような文章生成AIを駆使して書いた」「全体5%ぐらいは生成AIの文章をそのまま使っているところがある」と話していた。
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