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Macintosh誕生40周年 コンピュータが未来だったあの時代小寺信良のIT大作戦(2/3 ページ)

» 2024年01月30日 12時00分 公開
[小寺信良ITmedia]

Mac屋だらけだった秋葉原

 1980年代後半から90年代初頭には、秋葉原にはMac屋がそこそこ多かった。いわゆるパソコンショップ系列ではなく、お茶の水の楽器店がコンピュータミュージック専門店としてアキバに進出してきた、そういう時代だった。

 SE/30とVisionでずいぶん曲も作ったが、Macはよくハングアップした。シリアルバスにMIDIインターフェースを繋いでいるのだが、うっかり楽器をつなぎ換えると、保存していなかった作りかけの曲が何度もパーになった。次第に嫌気がさして、やっぱり専用ハードだなということでシーケンサはローランドのMC-50へ乗り換えた。

 急にMacの使い道がなくなった。ただ、もう音楽に使うのは無理そうだなという感触はあった。当時の情報源と言えば、Mac雑誌とアキバのMac屋で常連の話を立ち聞きするぐらいの事である。そうそう雑誌も買えなかった筆者は、買うものもないのになんとなくアキバをウロウロするようになった。いわゆるフリーソフトであるPDSをフロッピーディスクにコピーしてくれたり、サークルが作った同人フロッピーが売られていたりと、変なものが手に入った。

 大抵Mac屋はビルの1階にはなく、家賃の安い2階3階にあった。そんな当時のMac屋にはみょうな連中が入り浸っており、あちこちのMac屋で同じやつに何度も遭遇したりした。どこの誰かも知らないし、特に約束したわけでもないのに、なんとなくいつもいる。

 そんな中の一人に、誰にでも声をかけて妙なことばかりやりたがる日本語が流暢なアメリカ人が居た。のちにテレビのコメンテータとして知られるようになる、モーリー・ロバートソン氏である。何度も遭遇しているうちに、モデム買いなよゲームで対戦しようぜ、と誘われたのだが、ゲームに興味が無かったのでモデムだけを買い込み、パソコン通信を始めた。

 思えばそんなことがきっかけで、今はモノカキになっている。

Macではできなかったこと

 Windows95が大ヒットする前まで、Mac以外のPCはコマンドベースがまだ多かった。MS-DOSかDOS/Vか、である。すでにワープロソフトや表計算ソフトは存在しており、ビジネスで使った人も多かっただろう。ゲームもMS-DOS用のものが多かった。

 一方でMacを個人で使う人は、なんとなく特殊だった。仕事で使うという人はごく一部で、多くはMacそのものが好き、という人達が多かった。つまり、実用目的ではないのである。当時は自分も含めて、こうしていればやがて違うところにたどり着けるのではないか、という思いがあった。

 違うところとは、今で言うところのネット社会とかバーチャルワールドではない。リアルな世界の中で、奴隷船でオールを漕ぐのではなく、もっとクリエイティブな世界で生きていけるのではないか。

 1990年には会社を変わって、筆者はテレビCM合成の仕事をしていた。CMの世界には多くのクリエイターやアートディレクターと呼ばれる人達が活躍しているが、筆者のようなテレビ土方からは完全に線が引かれており、長く務めてもそちら側に行ける可能性はなかった。別の飛び越え方が必要だった。

 だがMacからビデオ信号を取り出すシステムは、あまりにも高価だった。当時の会社にも導入するよう見積なども提出したが、一笑に付された。

 そんなときに仕事で知り合ったのが、アートディレクターの田中秀幸氏だった。伝説的なテレビ番組「ウゴウゴルーガ」や、キャラクター「スーパーミルクちゃん」で知られるようになる前のことである。

 彼は当時NHK美術センターを退職してフリーで活動していたが、古巣であるNHKの仕事も多かった。彼が編集室に持ち込んだAMIGAというコンピュータは、モニター出力からGVPというメーカーの廉価な機器を通してビデオ信号に変換できたことから、メモリーに溜め込んだ数秒のグラフィックスを少しずつVTRに収録し、それを編集・合成するという手法で番組オープニングなどを制作していた。

 同氏と一緒に制作したのが、NHKの教育番組「天才テレビくん」の初代オープニングであった。AMIGAはビデオ信号が出せるコンピュータシステムとしてはかなり安く、Macを使うよりも現実的に見えた。以降仲良くなり、用もないのに田中氏の自宅に遊びに行ったものである。思えば用もないのになんとなく集うという慣習が、インターネット夜明け前のコンピュータ文化にあったのではないだろうか。そこから筆者もAMIGAを購入し、見よう見まねでCG制作の道に入った。

1993年からNHKで放送された「天才てれびくん」のオープニング(引用:NHKアーカイブス

 当時AMIGAには「Video Toaster」というスイッチャーシステムがあり、これに付属していた3DCGソフト「LightWave」はのちに一世を風靡することになる。現在ライブ配信システム「TriCaster」や、映像伝送規格「NDI」を開発するNewTekと筆者との付き合いは、この頃まで遡る。

 秋葉原には、AMIGAの専門店も2件あった。あとはお茶の水、御徒町、のちに下北沢にもできた。Macのサブカル具合は、のちにCD-ROMブームを産むような、カラフルで鮮やかだった。一方AMIGAはサブカルをこじらせて、もはや怪しいような世界があった。

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