故郷に戻っても無気力な状態がしばらく続いた。しかし、母親があるときに渡してくれた、プログラミングなどの情報処理を扱う地元の専門学校のパンフレットが人生の「転機」となった。入学して学んだ内容は、まさに目から鱗だった。
「コンピュータの仕組みが分かると、『こうやって動いていたのか』とイメージが沸いてきた。やっぱり負けず嫌いなので、今度はこの世界(エンジニア)でどこまでいけるかなと考えた」。専門学校を首席で卒業した里見さんは、ゲームを作るために上京した。
ゲーム会社などの勤務を経て2015年にはフリーに。16年にはある会社の依頼でゲーム部門の発足プロジェクトを任され、プロデューサーとしてエンジニアやデザイナーなどを自ら採用した。しかし、社長から資金不足を突如通告され、プロジェクトはわずか3カ月で打ち切りに。採用したスタッフを守ることすらできなかった。
「きちんと開発することも大事だけど、資金面も全て責任を持つポジションじゃないと、プロデューサーは務まらないことを痛感した」。自身にとっては苦い経験となったが、この教訓を糧に17年、フィグニーを起業した。
フィグニーでは約40人の従業員のうち、エンジニアが約9割を占める。「日本はITの技術者が不足していると言われるが、人材を掘り起こしてきちんと育てれば、解消できると思っている」(里見さん)と語るように、エンジニアの育成にも力を注いでいる。
24年2月には、米Appleが世界初の空間コンピュータと位置付ける「Apple Vision Pro」を発売し、話題を呼んだ。また、メタバース(仮想空間に作られた3次元世界)も経済や医療などさまざまな分野に応用されるなど、大きな可能性を秘めている。「バーチャル上で経済活動を活発化させて、人生に多様性をもたらせることが自分のミッション」と話す言葉には力がこもる。
ゲーム廃人として過ごした4年半の日々について、里見さんは改めて思うことがある。
「どうしようもない経験だったとしても、プラスに評価できる領域というのは必ずあるはず。そういう経験をしたのであれば、それを自分で強みに変えていくしかない」
自分を変えられるのは、結局、「自分」しかいない−。里見さんの言葉には、人生を生き抜くためのヒントが凝縮されていた。(浅野英介)
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