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奇抜なヌードも「AIでしょ」で終わり──’90年代に「Yellows」でデジタルの可能性を示した写真家が生成AIを駆使する現実的な理由分かりにくいけれど面白いモノたち(2/5 ページ)

» 2025年04月30日 12時05分 公開
[納富廉邦ITmedia]

新しい“写真の形”を求めて

 そのまま写真を入稿せずに、わざわざ誰もやっていないデータ入稿をするというのは、出版というより、ほとんど“実験”なのだけど、それをするのが重要な時代だったのだ。マルチメディアという言葉が誕生したのが1991年。最初の「Yellows」が92年。デジタルは、まだ出力先を模索していた時代で、その一部は出版の実験場として機能していた。

五味彬「Yellows 2.0」(1992年、風雅書房)。これが、最初のデジタルカメラによる作品集となった

「もう、トラブルだらけでした。スキャンにしても、コダックに頼んだら、縦構図の写真を横構図でスキャンしてきて、すごく小さくなっちゃって、解像度の無駄遣い。でも、サポートはしっかりしてたから、全部、無料でやり直してくれて。『Americans』の次は『Yellows 3.0』という中国人版を日本で、カメラもプリンターもデジタルで作ったんですけど、どんどん撮影してると、HDDへの転送が追いつかなくて、ディスクが熱で止まったり。データの転送も遅かったんですよ」

 他にも、撮影データが1枚単位で保存されず、1枚エラーが出ると、何百枚が読めなくなったり、それを、コダックの技術者がどうにか救出したりと、とにかく手間がかかったという。

「そうやって、コダックと付き合いができて、当時の本社に行ったときに、そこにプリクラの機械が置いてあったんです。まだ、プリクラの機械が始まったばかりで、カメラ部分はコダックが作ってるということで、シリアル番号1番のマシンがあって、要らないから持っていっていいって言うんです。プリクラで『Yellows』作りたかったからもらってきて、紙とインクを大量に買ったんですけど、まあ、その機械は、娘を喜ばせただけに終わりました」と五味さんは笑う。

当時のコダック製プリンターの資料

 しかし、デジカメの前に、Yellowsの試作版のようなものを8×10のポラロイドフィルムを使って作っていたそうだし、世界最初のデジカメを使ったと思うと、次にはデジタル入稿をやり、さらにはプリクラで作品集を作ろうと考えるという流れには、見事な一貫性が見える。新しもの好きと言っても、カメラの最先端は、画質の向上へと向かうベクトルを持ったもののはずだが、五味さんの写真への関心は、一貫してそこにはない。

「新製品のデジカメの解像度が上がって、画質が向上したとしても、それは写真としては新しくないんですよ。デジカメが新しくなるならともかく、精度が上がるだけなら、そこに興味は持てないんです。ポラロイドは、それまでのフィルムとは違う新しいものだったし、デジカメもそうでした。プリクラも、その時点での新しい『写真の形』だったし。精度が上がると、普通のカメラになっちゃうんですよ」

 それはもしかすると、現在のスマホカメラでなら誰もがそれなりにきれいな写真が撮れてしまうことで、写真そのものが普通のものになってしまったことと重なるのかもしれない。最新の“写真”が持つ面白さにのみ注目して、画質や解像度といった未熟な部分を、別の何かで補うことが、プロの写真家としての五味彬の技術とセンスなのかもしれない。「Yellows」の、無表情・無機質なポートレートというスタイルも、そう考えると、とても分かりやすいような気がする。

「最初の『Yellows』の画質や色の悪さも、それが新しい機械が撮る絵だからしょうがないんじゃないの? と思ってましたよ。そういう風になるけど、それが新しいんだからいいんじゃないの? って(笑) ただ、当時のプリンターは優秀でしたよ。モニターで見ると結構ひどいんだけど、それ専用のプリンターだから、ちゃんとキレイに8×10の大きさで出力してくれる。元々、そのプリンターはペンタゴン(米国国防総省)に頼まれて作った機械で、偵察機とか衛星から撮った写真を、補正して出力するもので、元のデータはかなり低画質だったりブレてたりは前提になってたの。ただ、軍用だから、ものすごく大きくて重い。カバーが全部鉄でできてて、潜水艦とかにもガチャンってはめられるようになってるの」

 五味さんは笑うが、それが当時の写真の最先端だったのだ。そして、普通の写真は今はほとんど撮っていないという彼にとっての、新しい“写真”が生成AIとの共同作業ということになる。

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