2014年3月31の那覇から羽田へのラストフライト(NH126便)で、ついに日本の空から姿を消すボーイング747-400。退役が近づくにつれ、ジャンボ機が飛来する各地の空港には見物デッキに詰めかけるファンの数が増えている。日本人に最も愛されたこの名機は、いかにして誕生したのか? その歴史を、改めて振り返ってみよう。
発展を続ける航空の歴史の中で、「テクノジャンボ」と呼ばれたボーイング747-400が果たしてきた役割はきわめて大きい。日本のJALもANAも、大きく世界に翼を広げてきたその中心には、いつも747-400がいた。
ボーイングが707の後を継ぐ大型旅客機の開発の検討を始めたのは1962年だ。それとほぼ時を同じくして、米国防省は米国本土から遠く離れた前線に兵士や物資を迅速かつ大量に輸送することを目的とした大型輸送機の開発計画を発表。「CX計画」と呼ばれたこのプランに、米国の大手航空機メーカーのダグラス、ロッキードとともにボーイングも参入の意思を表明する。巨額なビジネス獲得を目指して受注合戦を繰り広げた結果、米空軍はボーイングとロッキードの2社を候補として試作機を設計させ、そして最終的にボーイングはロッキードに敗れた。
開発競争に多くの人と資金をつぎ込んだボーイングは当然、大きな痛手を負うことになる。それを救ったのが、当時世界最大の航空会社として君臨していたパンナム(パン・アメリカン航空)だった。同社はCX計画に敗退したボーイングに、提出した設計案を民間航空機に転用して実現するよう提案。707の成功で大型ジェット機の実績を持つボーイングなら世界をアッといわせる巨人旅客機を誕生させられるだろうし、期待通りの優れた新型機を完成させたときにはパンナムがそれを採用することを約束した。
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