2月末に政府の「イノベーション25戦略会議」(座長・黒川清内閣特別顧問)が、中間報告を公表した。この会議は、「技術革新をテコに成長戦略を検討する」というもので、今回の報告では、技術革新によって、2025年までの家庭生活をどのように変化させることができるかについて、明るい未来像を描き出している。
その中で「実現が期待される技術の例」として、以下のようなものが紹介されている。
もっとも、これってあくまでも「こうなればいいなあ」という希望すべき未来像であって、「こうなるであろう」という未来予測じゃない。報告の中にも、この未来像の実現には、社会制度や人材育成なども含めた革新が必要だという提言が盛り込まれている。
つまり、この報告というのは「こういう未来になるようにみんなでがんばりましょう」というもの以外のなにものでもない。だから、この報告通りの未来が来るというようなことは、誰も言ってはいない。
……ということをふまえた上で、あえて今回は、「未来予測」というものについて考えてみたい。
SFの世界でよく言われることに「近未来の世界をリアルに描くことほど難しいことはない」というのがある。何百年も先のことなら、好きに書けるし、何が正しいか間違ってるかなんて誰にも言えないけど、10年とか20年くらい先のことは、それらしく書くのが難しいし、すぐに「そんなふうにはならなかったじゃん」てなことになっちゃうのだ。
例えば、半世紀くらい前の昔のSFでは、よく「21世紀には自家用車の次に自家用1人乗り飛行機の時代が来る」とか、「未来はすべての道が動く歩道になっていて誰も車なんか乗ってない」とか、まあいろいろ夢が語られてたわけだけど、そんなの全然実現してないでしょ。月面基地もできてないしね。
でも、一方ではコンピュータが急速に発達、小型化して、多くの人がパソコンを個人で所有する世の中が来て、この記事をネット上で読んでくれてたりするわけ。さらに言えば、原子力発電みたいに、技術としては実現したのに、それでもエネルギー問題自体は解決してなかったりってなこともある。
ことほどさように、未来予測というのは外れまくるものなのだ。
その理由は大きく分けて2つある。
1つ目は、最初に期待してたほど、その技術が発展しなかった場合。核融合とか人工知能とかは、今のところこの部類に入ると言っていいだろう。
もう1つは、最初の予測と違う方向に技術が発達したり、想定していたのとは違う使用法が広まっていった場合。コンピュータの小型化による個人所有とか、携帯電話にカメラやメール機能がついたりっていうのは、まさにそれだ。いやあ、まさか「スタートレック(宇宙大作戦)」や「ウルトラセブン」に出てくるような個人用通信機が、実はただの電話で、それを使って人々がその場で撮った画像を送信しまくるようになるとは、六十年代の人は想像してなかったでしょ、やっぱ。
未来予測が難しく、なおかつ、おもしろいのは、この2点目にある。つまり、人間的な要素(技術の使われ方)が未来の有り様を変えちゃうのだ。
というような目で「イノベーション25」の中間報告を見直してみよう。そしたら、「こうなって欲しいという期待は分かるけど、実際にこういう技術が実現したとしても、その結果はかなり違う方向にいっちゃうんじゃない?」というものが見えてくるはずだ。
例えば、「衝突を自動回避する乗用車」とかって、その技術のせいで、逆に誤動作しちゃう車が続出したり、その機能を使ってさらに荒っぽい運転をするドライバーが現れたりなんてことが起こるような気がするんだけど、考えすぎですかね?
皆さんは、この中間報告に描かれている世界と、実際にやってくる2025年の世界と、どれくらい違うと思います? いや、この報告通りのバラ色の未来が来てくれるにこしたことはないんだけどね。
(次回はメタンハイドレートについて取り上げます。4月20日掲載予定)
作家/脚本家/翻訳家/批評家。
1963年、大阪生。関西大学大学院工学研究科電子工学専攻博士課程前期修了(工学修士)。NTTデータ通信に勤務中の1990年頃より執筆活動を始め、94年に文筆専業となる。得意なフィールドはSF、ミステリ等。アメリカのテレビドラマとコミックスについては特に詳しい。SF設定及びシナリオライターとして参加したテレビアニメ作品多数。仕事一覧はURLを参照されたし。2007年1月より、USCこと南カリフォルニア大学大学院映画学部のfilm productionコースに留学中。目標は日米両国で仕事ができる映像演出家。
ウェブサイトはhttp://www.kt.rim.or.jp/~m_sakai/、ブログは堺三保の「人生は四十一から」。
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