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» 2006年07月10日 08時46分 UPDATE

ストレスと上手に付き合うための心の健康:第10回 「欲望」はマイナスのエネルギーじゃない

あなたの不満の裏に隠れているのは「欲望」。欲望をタブーとせず、メカニズムを知って有効活用すれば、状況を打開できる

[ピースマインド 田中貴世,ITmedia]

ビジネスパーソンが常に向き合わなくてはいけない“ストレス”。ピースマインドのカウンセラーが、毎回関連した話題を分かりやすくお届けする。危険信号を見逃さず、常に心の健康を維持していこう。


Hさんの憂うつ

 「最近、仕事をしていてもモチベーションが上がらない。以前は集中力も向上心もあったのに。自分はおかしいのではないか?」「こんな生活では、生きているという実感が持てない」。Hさんはそんな悩みを抱えていました。

 社会に適応しようと日々エネルギーを使っているうち、自分の中で何かが消耗してしまっていると気付くことはありませんか。気付くきっかけはモチベーションや集中力の低下、体の反応(疲労感、肩こり、頭痛など)だったり、同僚からの「このごろのあなたは仕事に乗っていない感じだね」という言葉や、上司からの「おまえ、もっとしっかりしろよ」という注意だったりします。

 数段のステップを上りきり、平たんな踊り場を歩いているように感じているのかもしれませんね。そんなあなたの憂うつの奥には、無意識の「欲」があるのではないですか。

 人間を動かしているのは、この「欲」なのかもしれません。このことを心理の世界では「内発的動機付け」といいます。

人間の欲求とは

 行動科学の理論的成果を挙げた経営学者マグレガーは、人は本来怠け者であるという伝統的な考え方を「X理論」とし、人は高い業績を上げたがっているという「Y理論」を提起しました。1960年のことです。こうした内発的動機付けを重視する考えは、人間性心理学の提唱者であるマズローの「人間は本来旺盛な労働意欲を持つ」という人間観を引き継いだものでした。

 マズローは、人の基本的欲求を以下の5段階に分類しました。

マズローの欲求階層理論

1.生理的欲求:人間の肉体的諸欲求(食欲、睡眠欲、性欲など)。5段階の中で最も強く、この欲求が満たされない限りほかの欲求が強くなることはないとされました。生理的欲求がある程度満たされて初めて、次の段階である安全欲求が強くなるというプロセスをたどるとされたのです。

2.安全欲求:身体的な危険、脅威から守られたいという欲求。見慣れたものや既知のものを求める欲求も含まれます。満たされると次の欲求に移ると考えられます。

 少なくとも現代では、生理的欲求や安全欲求は満たされていると考えられています。けれど本当にそうでしょうか。あなたは必要なだけ睡眠を取ることができていますか。必要な栄養を摂取していますか。身体的な(心もその重要な一部分です)危険や脅威から守られていますか。

3.所属と愛の欲求(社会的欲求):集団への帰属と友情や愛に対しての欲求。満たされると次の欲求に移ると考えられます。

4.自尊欲求:2 つの側面を持ちます。第1は自己に対する高い評価や自尊心を持ちたいという欲求。無条件に自分は自分で良いのだと思いたいということです。第2は、他人から評価され尊敬されたいという欲求。自分の仕事が評価されている、自分が他者から認められている実感を持ちたいということです。

 マズローの理論では、以上の欲求が満たされても、人はなおも不満や不安を持つと考えられています。人が究極的に満足を得るのは、自分の潜在的な可能性を実現できたときであり、その欲求が最終段階の自己実現の欲求なのです。

5.自己実現の欲求:限りない自己啓発、能力の実現、限りない成長を望む欲求です。あなたも、「自分には何かを成し得る可能性があるはずだ」と思うことはありませんか。


 マズローの理論の実証的研究を受けて、アルダーファは人間の欲求を3つに集約しました。

アルダーファのERG理論(1972年)

1.生存欲求(E:Existence):物理的、生理的な欲求のすべて。飢えから賃金労働条件までの範囲を含みます。

2.関係欲求(R:Relatedness):自分にとって重要な人々(家族・友人・上司・部下・敵など)との関係を良好に保ちたいという欲求です。

3.成長欲求(G:Growth):自分の環境に創造的・生産的な影響を与えたいという欲求。満たされれば人間としての充足感が得られとされます。


 ERG理論がマズロー理論と違うところは、以下の3点です。

  • 3つの要求区分は、マズローの5段階のように重なり合わない
  • 低次の要求が満たされなければ高次の欲求が起こらないとは考えない(併存も可能)
  • 高次の欲求が満たされないと、低次の欲求に後戻りする

欲求を見つけ、行動を起こす

 マズローとアルダーファの欲求に関する説を受けて、Hさんの相談内容を振り返ってみましょう。

 「仕事をしていてもモチベーションが上がらない。集中力も向上心も失ってしまったようだ」。Hさんがこの状態に居心地の悪さを感じているということは、「意欲的に仕事がしたい」「集中力、向上心を持って仕事に取り組みたい」という欲求を持っているためではないでしょうか。これはマズローの自尊欲求の第1 であり、欲求を原動力に行動を起こせば、アルダーファの成長欲求をも満たすことができるでしょう。

 「こんな生活では、生きているという実感が持てない」。ということは、Hさんは「生活の中に生きているという実感が欲しい」と感じているのではないでしょうか。

 では、Hさんが「生きている実感」を味わうことができるのはどんなときなのでしょうか。

例1:挫折を経験しながらも就職が決まったとき。「これで両親を安心させ、自分も自立した生活を始めることができる」と思えた。

→アルダーファの生存欲求と関係欲求の充足

例2:苦しい練習を共にした仲間と、サッカーの地区優勝を勝ち取ったとき。練習に耐えた自分を誇り、勝利を分かち合える仲間がいることに喜びを感じた。

→マズローの自尊欲求第1・アルダーファの関係欲求と成長欲求の充足

例3:登山で山頂にたどり着き、風に吹かれながら眼下に広がる世界を見下ろしたとき。「苦しかったけれど、途中であきらめずに来たからこそこの場に立つことができた」という喜びを感じ、自分も自然の一部なのだと思い、そんな自分を受け入れることができた。

→マズローの自尊欲求第1・アルダーファの成長欲求の充足

 どんなときに「生きている実感」を手に入れられるのかに気付き、その欲求がどの階層に当てはまるのかが分かれば、「生きている実感」を手に入れるための行動はかなり明確なものになるでしょう。

欲望を有効活用して得られるもの

 Hさんの例のように、不満の裏側には欲求が隠されているのです。

 「欲を出す」「強い欲望を持つ」。あなたはこれらの言葉に、マイナスイメージを持っていませんか。「欲望」は、自他を傷つけることに使われない限り、クリーンなエネルギーだと私は思っています。なぜなら、「欲望」を有効活用することで状況を打開し、心身をより良い状態に変化させた方々を何人も見ることができたからです。

 「社会人になったときから、会社のためには自分自身の欲求は制限するのが当たり前だと考えていました。会社にとってどうか、プロジェクトにとってどうか、顧客にとってどうか。そればかり考えて、『自分にとってどうなのか』を封印してしまっていたのです。『自分にとってどうなのか』という基準を取り戻したとき、本当にやりたいことが見えてきました。もう少しこの職場で頑張ろうと思います」。数回の面談を終了して、 Hさんは晴れ晴れとした表情でカウンセリングルームを退室されました。

 Hさんが方向を見つけ出すまでには時間が必要でした。あなたもどうか結論を急がないでください。時間が次なる偶然やチャンスを運んでくるということもあるのです。

 あなたの中の「欲望」も、時間に磨かれ余分なものがそぎ落とされて、シンプルかつ明確なものになっていくかもしれません。

 あなたの中にある、自他を傷つけることのない「欲望」というエネルギーを、心身の健康のために有効活用してみませんか。

※本記事は「@IT自分戦略研究所」に掲載されたものを再掲載したものです。

筆者プロフィール ピースマインド 田中貴世

シニア産業カウンセラー、 日本産業カウンセラー協会認定キャリア・コンサルタント、日本オンラインカウンセリング協会認定オンラインカウンセラー、 家族カウンセラー協会認定家族相談士。子育て相談、保育士人材育成の仕事在職中にカウンセリングを学び資格を取得。転職支援センターのキャリアコンサルタントを経て、現在ピースマインドでカウンセラーを務める。職場のメンタルヘルス、キャリア、家族関係、夫婦問題とカウンセリング分野は幅広い。「カウンセラーは相談者の伴走者」と考え、「出会い」「気付き」の中に生まれるエネルギーに心動かされる日々だという。なお、ピースマインドが提供する「ストレスCheck」を@IT自分戦略研究所で試してみることもできる。


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