「くじけぬ心」を持てば、未来はもっと明るくなるRe:Work !(3/5 ページ)

» 2013年03月28日 10時00分 公開
[三河賢文,Business Media 誠]

壁を壊すから、先に進める

 少し、私の趣味の話をさせて頂きたい。

 この連載「Re:Work !」でも何度か紹介している通り、私はマラソンやトライアスロンを趣味として取り組んでいる。最近は100キロを超えるウルトラマラソンにも頻繁に出場しているが、決して最初から走れたわけではない。

 私が走り始めたのは、2010年6月末。その際は体重が78キロあり、今より16キロも太っていた。運動は好きな方だったので、最初は「すぐ走れるようになるだろう」なんて軽く考えていたのだが、大きな間違いだと気付く。

 10キロ走るつもりで家を出て、実際に走ったのは2キロ。脚が動かず、息が切れて、帰りは歩いて戻った。自分でも情けなくなるくらいの結果に、最初は落ち込んだものである。しかし考えてみれば、10キロなんて簡単に走れるわけがない。普通なら電車に乗って移動する距離なのだから。

 最近はランニングブームだが、走り始めてすぐにあきらめる人は多い。これは私と同じように思った以上に走れず、そのつらい体験から無理だと考えてしまうためだろう。彼らにとっては「走れなかった」事実が失敗なのである。そういう意味で、私は走り出してすぐに失敗したことになる。

 しかし私は、それでやめようとは思わなかった。確かに悔しかったが、だからこそ「負けられるか」という気持ちが強かったのだ。何としてでも走ってやるという一心でトレーニングを重ね、初めて走ったハーフマラソン。そしてフルマラソンは、残念ながら走りきることができなかった。途中で歩いたり、止まったりしながら、やっとの思いでゴールへたどり着いたのは今でも覚えている。途中でリタイアしてしまったレースだってあるし、昨年は長い間ずっと記録が伸びずにスランプに陥っていた。

 しかし「できるようになるはずだ」とあきらめなかった結果、ある日を境に大きく変わった。それは、初めてウルトラマラソンを走った2012年7月である。99キロという距離を、朝から夜中まで掛けて走り抜いた。途中何度もあきらめそうになりながらも、仲間に支えられながらゴールした感動は今でも涙が出そうになる。フルマラソンすら歩いていた私が、その倍以上もの距離をゴールしたのだ。そこには、確かに新しい世界が見えた。

 「走ることって、こんなに楽しいのか」

 「いつの間にか、こんなに走れるようになっていたのか」

 いろいろな思いが巡って、疲れ果てているにもかかわらず、早く次のレースに出たいと願うほどに興奮したのだ。それから記録は伸び、昨年末まで4時間を切れなかったフルマラソンも、今では3時間半を切っている。“超長距離”の面白さにも目覚め、つい最近は沖縄本島一周マラソン(合計324キロ、238キロでリタイア)にも出場した。

 思えば最初に「走れなかった」悔しさがあったからこそ、私は逆に「走りたい」気持ちを燃やせたのだろう。すんなり最初から10キロをものともせず走れていたら、今こんなに必至にトレーニングしていないし、走ることへの楽しさもここまで大きくは感じていなかった。

 「失敗」というものがあるのなら、確かにそれは避けては通れないものだろう。壁が目の前に立ちふさがれば、ひるむのも分かる。しかし壁の向こうには、必ずもっと先へ続く道があると思うのだ。まだ見ぬ喜びや充実感、あるいは幸福感など。それならば、くじけず前を向いて壁を壊してみる価値はあるのではないだろうか。壁を壊さなければ、ずっとそこから前に進むことは出来ないのだから。

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