「分相応」を捨てる捨てる「習慣」(2/2 ページ)

» 2015年03月06日 05時00分 公開
[午堂登紀雄,Business Media 誠]
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「捨てる」と新たな能力が見つかる

(写真と本文は関係ありません)

 時代・環境の変化への対応という意味でも、それまでの強みを捨て、新たな分野に進出することが生き残りのカギを握ることがあります。

 私たち個人で言えば、転職で業界・職種を変えることがそれにあたるでしょう。

 とはいえ、一般には、自分が長年携わっていた業界・職種を捨てるというのは勇気が必要です。今まで積み重ねてきた知識や経験、人脈が活かせないかもしれないというのは恐怖でしょう。またイチからやり直すことに対する「面倒臭さ」もあります。

 しかし真剣にやれば、今までの経験は必ず活かせるようになります。なぜなら、どの分野でも上達や成功の要点には、多くの共通点があるからです。

 司会業に転向する芸人は、芸人としての話術や「場を読む」力を活かすことができます。高級車の営業で腕を鳴らした人なら、マンションも保険も売ることができます。

 私自身の話で言えば、FXや不動産投資以外でも同じロジックを使って投資をしています。不動産投資のように利回りが高く安定している商品なら、相場に関係なく儲かる。FXのように安いときに買って高いときに売れば儲かる――というセオリーは通用するということです。

「才能」を言い訳に使わない

 自分の限界を決めたり諦めたりするとき、「才能」という表現が使われることがあります。

 「自分はそんな才能はない」
 「あの人は天才だから」

 しかし、実際には才能がないのではなく、自分の才能が発揮できる場所を間違えている、あるいは才能の磨き方を間違えていることがほとんどだと感じます。

 もちろん「自分探し」をしろとか、すぐに諦めて次に行け、という意味ではありません。向いていないのに単なる憧れで目指すとか、努力レベルが一定水準に達していない段階で、才能を理由に諦めるのをやめようということです。

 確かに、持って生まれた能力が何なのかを特定し、その能力が発揮できる場所を探すのは容易ではありません。

 そこで、「才能とは天賦の才」という発想を捨て、「才能とは、目的の達成に向けて適切な努力ができる力」と定義してみましょう。

 夢は自分を裏切らない。裏切るのは自分。挑戦することなく「分不相応だ」とあきらめるのは自分自身です。壁にぶつかるかもしれない、しんどいかもしれない、面倒くさいかもしれないという気持ちを怖がり、それらを拒否したい自分自身との闘いなのです。

捨てる「習慣」 その8

  • 「分相応」を捨てられない人:時代・環境の変化に取り残される
  • 「分相応」を捨てられた人:今の能力の限界を突破できる

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