そんな日本の新聞と瓜二つの新聞がかつて存在していた。旧ソ連の新聞だ。
ご存じの方も多いかもしれないが、『読売新聞』が世界一の栄冠輝く前、発行部数が多いといえば、旧ソ連の全国紙だった。例えば、1989年の発行部数は『プラウダ』が960万部、『イズベスチヤ』が1050万部、他にも数百万部レベルの全国紙が乱立していた。
そりゃ一党独裁の共産主義国家の機関紙だからでしょ、と思うかもしれないが、実はこういう異常ともいえる新聞の売れ方というのは、ソ連や中国など一部の共産圏以外では日本でしか確認されていない。
そういう指摘をすると、日本の新聞人たちは「日本人は高い教育水準で、活字文化を好む」とか当の日本国民が否定しにくいロジックで説明をするが、真相は違う。日本の新聞がここまですさまじい発行部数に成長をした理由は、旧ソ連をはじめとする共産圏独特の新聞ビジネスモデルがある。それは一言でいえば、国の支援によって安い購読料が維持されることで、高い併読率が実現できるというものだ。
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