家茂と和宮の夫婦仲を物語るこんな話も残っています。家茂の死後、江戸城にいる正室の和宮には訃報(ふほう)とともに、京都の西陣織が届いたそうです。これは最後の上洛のときに「お土産は何が良いか」と尋ねる家茂に、和宮がねだったもの。
その着物をみて、和宮は泣き崩れたそうです。愛する夫を偲(しの)んで詠んだ歌が以下です。
「空蝉(うつせみ)の 唐織衣(からおりごろも)何かせむ 綾も錦も 君ありてこそ」(おみやげに所望した西陣織の衣はもう何も役に立ちません。だって、どんな美しい綾や錦の着物も見せたいあなたがいてこそなんですから)
この歌は、家茂が埋葬された増上寺に、形見となった西陣織とともに奉納され、空蝉の袈裟と呼ばれ現在に伝わっているそうです。
時は流れ、1959(昭和34)年、徳川家墓所の遺骨調査が行われたときのこと。
和宮のお墓から、一枚のガラス湿版写真が発見されました。和宮が抱くように持っていた写真には、直垂に烏帽子をかぶった男性の姿が。武家の正装をしていることから、家茂の写真でほぼ間違いありません。攘夷思想の義兄・孝明天皇に習って彼も写真を撮っていなかったというのが定説でしたが、亡くなる少し前に写真をとって和宮に贈っていたのですね。
さっそく専門家が鑑定をしようとしたところ、翌日には家茂の姿はすっかり消えてガラスだけが残っていました。太陽光で消えてしまったそうです。研究者たちは何とか家茂の姿を取り返そうと手を尽くしますが、戻らず、発掘直後に居合わせたわずかな人だけの記憶だけに残った幻の家茂の素顔となりました。
家茂と和宮の結婚生活はわずか5年。家茂が亡くなって11年後に和宮もなくなりますが、「家茂のそばに葬ってほしい」と遺言通り、今も隣同士並んで眠っています。
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