だから、中日ドラゴンズは“低迷地獄”から抜け出せない赤坂8丁目発 スポーツ246(2/4 ページ)

» 2017年04月21日 08時00分 公開
[臼北信行ITmedia]

対立構造が露わに

 タイミングの悪いことに2016年は中日にとって球団創設80周年。本来ならばメモリアルイヤーにしなければならない大事なシーズンだったはずだ。にもかかわらずV争いどころかとうとう最下位にまで転落し、このような内紛まがいの対立構造を露(あらわ)にしてしまった。

 結局、落合GMは2017年1月限りで任期満了とともに退団。在任期間中はチーム編成のトップとして重職を任されながらも目立った功績を残せず、その能力を疑問視する向きが強かった。球団内でも「反落合派」と言われていた関係者の1人は、こう打ち明ける。

 「ドラフトで落合GMはスカウト陣がリストアップしてきた候補選手をことごとく引っくり返し、自分のお眼鏡にかなった選手を指名させることが多かった。でも悲しいかな、その選手たちの大半が今もなかなか芽が出ない。

 ドラフトだけでなく、他球団とのトレードも消極的だった。なぜかというと『人脈』がないから。それでいてコストカットには積極的で活躍したはずの選手に対しても評価は“渋チン”。大島(洋平外野手)や平田(良介外野手)が昨オフに他球団へのFA移籍をチラつかせたのも、落合GMのチーム編成と査定方法に不満を抱いたからに他ならない。結局、2人は落合GMの退任決定が大きな決め手となって残留の意志を固めた」

 落合氏はGM時代こそ失策続きだったが、かつての監督時代には8年間のうち4度のリーグ優勝、日本一も1回達成している。中日の歴史を振り返っても「ドラゴンズ史上最高の監督」と評していい。そうした監督としての功績を高く評価していたのが、親会社・中日新聞社の会長でもある白井文吾球団オーナーだ。

 「2011年にリーグ優勝したにもかかわらず、当時の落合監督は球団幹部や有力OBたちから『無愛想で非協力』『ファンサービスも良くないから客が呼べない』などといった批判が殺到し、結局退任に追い込まれるハメになった。親会社の中日新聞社でも落合監督が取材になかなか応じなかったことで特に現場サイドからはブーイングが上がり、この時ばかりはさすがの白井オーナーも無視できなくなって渋々ながら反落合派の声を聞き入れるしかなかった。

 ところがその後、バトンを引き継いだ高木(守道)監督が結果を出せず2シーズン限りで退任。そこで唯一、ずっと落合の後ろ盾となっていた白井オーナーが『それ見たことか、やっぱり落合しかいないだろう』というニュアンスの言葉を口にし、今度は落合をGMに推した。監督でなくGM職になったのは、落合自らの要望だったとも言われている。谷繁監督(就任は選手兼任)も最初は落合GMと蜜月だったが、その関係は結局壊れたよね。だから最後まで落合を守っていたのは、白井オーナーだけだった」(中日OB)

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