横綱の稀勢の里が引退できない、2つの背景赤坂8丁目発 スポーツ246(3/4 ページ)

» 2018年07月13日 08時00分 公開
[臼北信行ITmedia]

稀勢の里と田子ノ浦親方との関係

 稀勢の里こそが打倒・白鵬の急先鋒であり、必ずや外国人力士隆盛の時代に楔(くさび)を打ち込む――。そのような期待感を膨らませ過ぎたゆえに、結果として稀勢の里の引退のタイミングを大幅に遅らせてしまったのだろうと考えずにはいられない。

 ちなみに事情通からは次のような指摘も聞こえてくる。

 「おそらく亡くなった鳴戸親方(元横綱隆の里)ならば、ここまで引っ張らずにもっと早い段階で本人と話し合いの末に引退勧告をしていたのではないだろうか。自らも横綱時代にケガと体力の衰えを理由に引退を親方に申し入れながら『自分の事情だけで辞めてはいけない』とさとされ、辞めるにやめられなかった苦い思い出があった。その苦しみを知っていたからこそ弟子たちには『引き際の美学』を説いていたとも聞く。

 いずれにしても鳴戸親方は稀勢の里にとって自分を角界に導き、成長させてくれた師匠。それだけに鳴戸親方ならば、愛弟子の“着地点”を見い出すことができたはずだ。だが稀勢の里と今の田子ノ浦親方との関係は、どうしてもかつての鳴戸親方と比較すると距離感があると言わざるを得ない」

 田子ノ浦親方は力士時代、隆の鶴の四股名(しこな)で活躍。鳴戸部屋に所属し、稀勢の里の兄弟子だった。だが最高位は前頭8枚目だ。鳴戸親方の急逝によって鳴戸部屋の継承に必要な年寄名跡証書の提出を所有者の同親方夫人が拒否したため、年寄・田子ノ浦名跡を取得する流れに至った事実もある。

 前出の事情通はこうも続けた。

 「そもそも鳴戸親方の夫人が“鳴戸の格式”を順守し、いくら同じ部屋出身者とはいえ幕内経験しかない元力士に由緒ある年寄を継がせるわけにはいかないと抵抗していた。愛弟子の稀勢の里も鳴戸部屋が消滅したことで、やむを得ず他の所属力士とともに田子ノ浦部屋に転属という形になったが、これは無論本意ではない。

 心中では師匠とおかみさんの気持を十分に理解し、同調している。自然と今の親方との間に『確執がある』とささやかれるのも当然の話だ。だから2人の間にロクな話し合いなど生まれるはずもなく、稀勢の里の今後も周囲の現役続行ムードにそれとなく乗っかるだけで、そのままズルズルとここまできてしまっている」

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