日本のお菓子を海外に届けるサブスクが絶好調 後発のベンチャー企業が世界シェアトップクラスになった理由創業6年で年商40億円(3/6 ページ)

» 2022年03月24日 20時17分 公開
[樋口隆充ITmedia]

リクルートで培った営業経験をベースに起業

 近本社長はどういった経緯で創業に至ったのだろうか。原点は、学生時代に手掛けたWebサイトの運営だ。大学の同級生が立ち上げた、女子大生向けのアパレルサイトのコンテンツ企画を担当。モデル探しからカメラマンの手配など一からコンテンツを作り上げることに楽しさを感じた。

 「0→1からの立ち上げを経験したい」。将来的な起業も視野にリクルートに新卒で入社するも、配属は自身が希望した企画ではなく、営業だった。当初は戸惑ったものの、同社での営業経験が大きな転機となる。

 入社後、担当したのが「ホットペッパービューティー」の営業だった。会社から指定されたエリア内の美容室に飛び込み営業する日々。同じ店に何度も営業することもあったという。近本社長は「最初はやりたくなかったが、売れることで達成感を感じていった」と新卒1年目の当時を振り返る。

photo 「ホットペッパービューティー」

 リクルートの営業では「動きながら考える姿勢が求められる」と近本社長。先輩のフォローの少なさに当時は不満を感じながらも、営業での成功体験を重ねることで「自分で経験して、身に付けて、乗り越える姿勢を学んだ」という。そうして得たのは、物怖じしない度胸、どんな状況でも諦めずに商品を売りぬく突破力だった。

photo 近本あゆみ社長(同社提供)

 「経営者には会社を前に進める推進力とサービスを売り込む力が求められる。リクルート時代のことは全て生きていて、非常に勉強になった」(近本社長)

リクルート時代に目撃した観光客の「爆買い」がヒントに

 サブスクビジネスとEC事業参入の経緯も聞いた。近本社長はリクルートで「ポンパレ」の立ち上げに従事した後、起業を視野に退社。美容室などの集客コンサルティングや美容媒体のフリーランスディレクターになり、仕事は軌道に乗るも「スケールの大きな仕事をしたい」と、退社から1年半後に起業を決意した。

 ビジネスプランを考える中で、ふと浮かんだのが、リクルート時代に東京駅周辺で目撃した、外国人観光客による「爆買い」だった。彼らが日系企業の家電製品や化粧品、お菓子を量販店などで大量に購入する様子を見て、当時から「海外向けに日本に特化したECがあればいいのに」と考えていた。

photo コロナ禍前には多くの訪日観光客がいた(提供:ゲッティイメージズ)

 当時の思いを形にするべく、後に共同創業者となるインドネシア人のデビッド・アシキンさんに、日本特化型の海外向けサービスの商機について相談すると「反応が良かった」という。

 その後、商材を決めるため、日本留学経験があるアシキンさんとともに市場調査を実施。中国向けのECは中国に特化したノウハウが必要な上、東日本大震災後の輸出品目の制限などから、英語圏に絞って調査した。そうした中、米国向けの市場調査の中でサブスクサービスのブームを目の当たりにした。

 当時、米国ではNetflixなどのサービスだけでなく、ミールキットや、男性用カミソリの替え刃やシェービングクリームなどを提供する日用品のサブスクサービスがユーザーに好評だった。その中で「スナック」というジャンルの中に、日本のお菓子に関するサブスクサービスを見つけた。

photo ミールキットのイメージ(提供:ゲッティイメージズ)

先行サービスには“偽物”も 「本物を知ってほしい」と事業化

 日本のお菓子は当時から一部の外国人からは人気で、外国人経営者が運営する外資系企業が先行して市場に参入していた。ただ、提供サービスを見ると、サービス内容と実態が乖離していた。“偽物”が横行していたのだ。

 「日本のお菓子と称しながら韓国(のメーカー)の商品が混ざっていたり、金平糖と書いているが、米国生産で、よく見るとラムネのようなものだったりするなど日本のものではないものが混ざっていた」(近本社長)という。

 「これは日本人として黙っていられない。日本人の自分なら本物を届けられるし、ユーザーにも本物を知ってほしい」。競合の少なさや、少額の資金で事業を開始できることから、お菓子のサブスクサービスの事業化を決めた。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.