無線LANに託された壮大な夢と未来モバイルワーク温故知新(1/5 ページ)

今では欠かせない通信インフラとなった無線LAN。その歴史は長く、本格的な普及までには時間を要したが、インターネット接続や公衆無線、列車内無線LANなど、新しいブロードバンドサービスをリードしてきた。今回はそんな歴史をひもといてみよう。

» 2012年08月21日 08時00分 公開
[池田冬彦,ITmedia]

 モバイルワークの歴史をひもとく連載の3回目はちょっと趣向を変えて、無線LANの歴史にフォーカスしていく。今では無線LANに対応したノートPCが当たり前になり、家庭内のルータも無線LANに対応、通信速度も極めて高速になった。ホテルやカフェなどで無線LANが提供されることも当たり前になった。15年以上にも及ぶ無線LANの長い歴史を振り返っていこう。

連載「モバイルワーク温故知新」

第1回:まだ夢だった――モバイルコンピューティングの夜明け前

第2回:黎明期――モバイルワークが誕生した最初の一歩

第3回:無線LANに託された壮大な夢と未来


無線LANの誕生と進展

 無線LANの仕組みが誕生し、実際に製品が登場するのは1990年前半のことだ。NCR、Lucent Technologies(現Alcatel-Lucent)が販売していた無線LANシステム「WaveLAN」が日本に上陸したのは1993年。まだ10Base-T(理論値:10Mbps)のイーサネットが主流だった頃だ。最大通信速度は2Mbps(理論値)程度であり、無線規格も独自のものだったため、同じ製品同士でないと通信ができなかった。この他にProximの「RangeLAN(Symphonyシリーズ)」や「LANSAT(Raylink)」など、さまざまな無線LAN製品が登場してきたが、いずれも異なる製品の相互接続はできなかった。

 そして、無線LANの最初の標準規格である「IEEE 802.11-97」が1997年6月に登場し、1998年頃にはこの規格に対応する製品が市場にお目見えするようになった。しかし、アクセスポイントは値段が16〜20万円以上、PCカードも5〜9万円と非常に高価であり、通信速度も2Mbpsと遅いこともあってIEEE 802.11-97の製品はあまり普及しなかった。

 無線LANが普及するきっかけになったのは、1999年10月に策定された規格「IEEE 802.11b」および、この規格に適合した製品からだ。この普及に貢献したのが、Apple Computer(現Apple)のCEOだった故スティーブ・ジョブズである。ジョブズは早くから無線LANに目を付け、製品化を目論んでいた。

 ジョブズはLucent Technologiesにアプローチし、まだIEEE 802.11bの規格が標準化される前の1999年7月に「AirPort(日本ではAirMac)」という無線LANシステムを“フライング”で発表した。アクセスポイントの価格はわずか3万8000円、無線LANカードは1万2800円という破格ぶりだった。これがきっかけとなり、IBMやソニー、Compaq、Hewlett-Packard、Dellといったメーカーが続々と無線LANへの対応を積極的に進めた。

AirMac 世界初のコンシューマ向け低価格無線LANシステムとなったAppleのAirMac
ThinkPad s30 無線LANを内蔵した初のコンシューマ向けWindowsノートPC、ThinkPad s30

 この動きと同時に、異なるベンダー間でも問題なく接続できることを検証するために、Lucent Technologies、Aironet(現Cisco Systems)、3Com(現HP)、Nokia、Symbol Technologies(現Motorola Solutions)、Intersilの6社によって「WECA(Wireless Ethernet Compatibility Alliance)」という業界団体が発足した。WECAは無線LAN製品をテストし、合格した製品に「Wi-Fi CERTIFIED」ロゴを付ける。WECAは2002年に「Wi-Fi Alliance」という名称に変更し、現在も同様の活動を続けている。

Wi-Fi Wi-Fi CERTIFIEDのロゴ(※出展:Wi-Fi Alliance
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