情シスはエンドユーザーのロイヤリティを獲得せよ情報マネージャとSEのための「今週の1冊」(12)

仮想化技術やクラウドサービスの浸透が進むにつれて、技術はますます隠ぺいされ、エンドユーザーにとって使いやすいか、業務は確実に遂行できるのかなど、「システムによってもたらされるメリット」が重視されるようになりつつある。本格的なクラウド時代を前にして、もう一度“システムの使い勝手の在り方”を見直してみてはいかがだろう。

» 2010年09月21日 12時00分 公開
[@IT情報マネジメント編集部,@IT]

「おもてなし」のIT革命

ALT ・著=田中達雄
・東洋経済新報社
・2010年7月
・ISBN-10:4492580840
・ISBN-13:978-4492580844
・1600円+税
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 Eコマースやオンラインバンキングなど、ITを使った顧客サービスが一般化した近年、エンドユーザーが安心して快適に使える運用体制を整備することは、多くの企業にとって必須の課題となっている。万一、システムに問題が発生すれば、機会損失を生み、収益面、信頼面で大ダメージを被ることになるためだ。

 とはいえ、ここまでITを使ったサービスが普及してくると、「安定運用を担保する」だけでは十分とは言えない。競争が激しく、新商品・サービスを作っても「いずれは競合他社に追いつかれ、コモディティ化してしまう」ためだ。そうした中でも、安定的に収益を獲得し続けるためには、自社に対する顧客の“ロイヤリティ”や“エンゲージメント”が求められる。平たく言えば、企業やその商品・サービスに対する愛着心を抱いてもらい(ロイヤリティ)、「契約」「約束」(エンゲージメント)といったレベルにまで感情的なつながりを強化することが、商品・サービスのみに頼らず収益を確保する鍵となるのである。

 では、そのためにはどうすればいいのか? そこで2000年ごろから、主にマーケティングの世界で注目されてきたのが「顧客経験価値」という言葉だ。これは、「製品やサービスを購入したり使用したりする過程で得られる感情的な価値」のことである。例えば同じ価格、品質のコーヒーなら、ほとんどの人は「狭く汚い店舗のパイプ椅子で飲む経験」より、「広くて清潔な店舗の大きなソファーで飲む経験」を選ぶだろう。このように、商品・サービスを提供する「場」において、顧客の内面に印象として残り、「ブランドイメージの形成に大きな影響を与えるもの」――これが顧客経験価値であり、この要素を重視している企業は、実際にその業績を向上させているのである。

 本書「おもてなしのIT革命」は、この「顧客経験価値」をITサービスに積極的に取り入れることを提言した作品である。その手段としてユーザーインターフェイス(以下、UI)にフォーカスし、どんな機能を持ち、どんな体験を与えられればユーザーのロイヤリティを獲得し、エンゲージメントを高められるのか、豊富な事例を基に、あらゆる角度から検証しているのだ。

 著者は「現実世界のおもてなし」をUI上で「再現すれば良い」と説く。具体的には、現実世界における「おもてなし」を、「接客」と、商品・サービスを提供する「場の在り方」という2つの要素に分け、「接客」すなわち「顧客に対するレスポンス」には、統計解析や人工知能といった「分析・管理系技術」を使い、それ以外はUIの技術で対応できると解説している。最大のポイントは、「接客する人の存在感」や、「製品・サービスや場の現実感」を顧客に伝えるために、顧客の五感(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚)を刺激することが重要としている点だ。本書ではこの見解に基づき、現在、実現段階にある多数の事例を紹介している。

 分析技術では、アマゾンのレコメンドエンジンや、購買履歴データのRFM分析を行い、新規顧客獲得につなげた食材宅配サービス企業、オイシックスの例、「視覚」を刺激する例としては、Web上で眼鏡を試着できるサービス「バーチャルグラス」を提供したメガネスーパーの事例などを紹介している。このほか「嗅覚」では、香り発生装置を使ったカルピスの「香るデジタルサイネージ」、「触覚」では「手の表面に圧力が感じられ、あたかも何かに触れているような感覚を再現」する東京大学大学院による「空中超音波触覚ディスプレイ」のケースなどを収録している。執筆時期の問題ゆえか、やや古い事例も散見されるが、顧客経験価値向上に役立つUIの在り方、技術、方向性を知るうえでは興味深い事例ばかりである。

 ただ、本書で最も印象的なのは、顧客経験価値を向上させるうえで重要なのは、「技術ではない」と指摘している点である。重要なのは先端技術を使うことではなく、「企業ブランドや戦略と一致した経験を提供する」ことであり、その実現のためには「人の知恵によるデザイン」、すなわち「エクスペリエンス・デザイン」が必要だと主張しているのである。

 具体的には、従来のシステム開発が「機能中心、データ中心、オブジェクト中心、ビジネスプロセス中心」であったのに対して、こちらは「まず、顧客にとって最適な経験価値とは何かをデザインし、その結果として必要となる機能は何か、どのようなデータを用意すれば良いか、どのようなプロセスにすべきかを考える」。実際、この考え方を取り入れてITサービスを開発した多くの企業が、ロイヤリティ向上に成功しているという。

 UIというと、スマートフォンの使い勝手に革命を起したiPhoneの例が即座に想起されるが、確かにiPhoneの場合も“先端技術”を使ったわけではなく、新しかったのはその“発想”であった。その結果、一部の人たちのものであったスマートフォンは、世界中の多くの人々に受け入れられた。

 その点を鑑(かんが)みると、何か新しいものを作ったり、改善したりする際には、新技術にばかり目を奪われがちなものだが、この「顧客経験価値中心」というアプローチは、「導入したのに使ってもらえなかった」「収益向上につなげられなかった」といった事例に枚挙に暇がない企業システムの世界においても非常に重要なことを示唆しているのではないだろうか。実際、本書における「企業」と「顧客」を、「情報システム部門」と「ユーザー部門」に置き換えて読んでみても面白い。すべてがすべて当てはまるわけではないが、さまざまなヒントや発見がもたらされるはずである。


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