コラム
» 2005年02月21日 12時07分 UPDATE

「パソコン通信」とは何だったのか (3/3)

[小寺信良,ITmedia]
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 NIFTY-Serveのような、テキストベースのログにしか過ぎないコミュニティに、人々がなぜあれほどまでに没頭できたのかと言えば、優秀な巡回ツールがあったからである。Windowsでは「NifTerm」、Macでは「ComNifty」+「魔法のナイフ」+「NIFTY-J ぞーさん」+「茄子R」という組み合わせが定番であった。

 これらのツールを使えば、自分が登録しているフォーラムや会議室を自動的に巡回して、ログを収集してくれる。当時商用BBSには時間単位で接続料がかかり、その他にNTTの通話料がかかる。定額やパケットフリーという考え方は、存在しなかった。だから極力オンラインに時間をかけないため、マクロによる自動巡回を行なうわけである。

 収集されたログはしょせん縦に延々とつながったテキストに過ぎないのだが、これがログブラウザにかかると、フォーラムや会議室ごとに分けれ、同じテーマの発言群はスレッドとしてきれいに整理された。

 従ってどんなに活発に議論が進行しても、話の流れを見失うことはなかったし、発言に対する返信を間違うこともなかった。そのツール上で再現される仮想現実は、ものすごく整理整頓された世界だったのである。それによってオフラインでじっくり読んで考え、返事をするというスタイルが定着した。同時にそれが発言の質にもつながっていた。

 誰かに教えられて、初めて2ちゃんねるを見たときには、衝撃を受けた。あまりにも生ログそのまんまという作りに驚いたこともあったが、なによりもあからさまな罵詈雑言を、文字としてこれだけ大量に見たのは初めてだったのである。

 2ちゃんねるを最初に「便所の落書き」と表したのは、元アスキー取締役の西和彦氏だったか。それを連想したロジックは、分かる気がする。それまで罵詈雑言を文字として記したものに遭遇するチャンスは、そこぐらいしかなかったからだ。

 あまりにもリアルタイムで若過ぎるWebの匿名掲示板は、パソコン通信者にとって存在できる場所ではなかった。ネットワークが、モデムの先からEthernetの先を意味するようになった頃、パソコン通信世代のユーザーは、インターネットの世界でコミュニティ難民となった。

安心のための垣根

 そんな難民にとって、ソーシャルネットワーキングサイト(SNS)の存在が、インターネット上のNIFTY-Serveに見えたことは想像に難くない。インターネットとはそもそも垣根が取り払われた存在だが、そのなかに改めて垣根を作ったという意味で、画期的であった。

 コミュニケーションのスタイルはずいぶん違うが、プライバシーを守りつつ適度な匿名性を持ち、その気になれば個人を特定できるという安全性が、NIFTY-Serveのモデルとよく似ている。筆者はずいぶん前にNifyを退会しているが、SNSでNIFTY-Serve時代の多くの友人たちと邂逅を果たした。

 ニフティがISP業務に乗り出したときに、まさにこの仕組みを実行することができたら、ネットの世界もずいぶん様変わりしたことだろう。NIFTY-Serveのシステムオペレーター(シスオペ)たちも、パソコン通信からインターネットへのスムーズな移行に関してずいぶんアイデアを出したし、メンバーに協力を仰げば、知財も十分足りたはずだ。今でもそこに留まって頑張っている仲間もいる。

 だが、結局それが実現されることはなかった。パソコン通信最大のコミュニティの上に「神」として君臨した奢りがなかっただろうか。

 モデム接続によるテキストベースのサービスが終わることに関しては、インフラの変遷で致し方ないことだろう。だがニフティ最大の失敗は、せっかく構築されたコミュニティの崩壊を食い止める効果的な手を打たなかったことだ。

 今ではフリーで1Gバイト以上のディスク容量を提供するサービスが目立ってきている。タダでリソースをバラまけば、人は集まってくる。だが人がそこに留まり続けるには、それなりの理由がある。そして人が去るのにも、また理由がある。サービス業者は、次の手まで考えているだろうか。

小寺信良氏は映像系エンジニア/アナリスト。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手がけたのち、CGアーティストとして独立。そのユニークな文章と鋭いツッコミが人気を博し、さまざまな媒体で執筆活動を行っている。

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