現在のiRobotを語る上で、1997年はエポックメイキングな年だといえる。例えば前述の「Urbie」(アービー)は、後年セキュリティ分野でiRobotの名前を世に知らしめた「PackBot」(2000年)のベースになったモデルだ。可動式のキャタピラを持ち、階段を昇降できた。そして多目的作業ロボットとして登場した「PackBot」は、2001年の米同時多発テロで被害を受けた世界貿易センタービルや福島第一原発事故の現場で活躍した。
一方、陸地の地雷を探査・除去するロボット「Fetch」(フェッチ)が登場したのも1997年だった。「Fetch」の画期的なところは、ルンバの人工知能のプロトタイプが採用されたこと。同じ場所を何度も行き来して床面を網羅するルンバの動きは、“見落とし”が許されない地雷探査のノウハウを活かしたものだ。
さらに同年、iRobotは家庭用洗剤などの大手メーカー、SC Johnson Wax(日本法人はジョンソン株式会社)と共同で業務用清掃ロボット 「NexGen Floor Care Solusion」(ネックスゲン・フロアケア・ソリューション)を開発している。このときiRobotは、ブラシの構造や集塵(じん)、吸引技術など床掃除に関する技術とノウハウを得た。そしてなにより、プロジェクトに関わった2人のデザインエンジニアが、「より手頃な家庭用掃除ロボットは作れないか?」と考えたことがルンバ開発の直接的なきっかけになる。
大企業や公的機関の仕事を多く手がけてきたiRobotだが、実は懐事情はあまり良いとはいえなかった。昨年、明治大学で「起業」をテーマに講演を行ったコリン・アングルCEOは、iRobotが“儲からなかった時期”についても詳しく語っていた。
同氏によると、iRobotはこれまでに14もの新規事業を計画してはやめることを繰り返したという。これにはリテール市場向けの玩具ロボットも含まれていた。例えば水の中を動きまわる魚型ロボットや博物館の案内ロボット、大手玩具メーカーのハスブロと共同開発したリアルな赤ちゃん型ロボット「My Real Baby」(2000年)もあった。迷走しているようにも見えるが、当のCEOは決して悲観していなかった。
「14の事業を試してはやめた。それでも続けたのは、次の試みを実行するだけのお金はなんとか確保できていたから。そして“楽しかった”からだ」(アングル氏)。
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