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社長夫人が見てきた「はてな」連載:変な会社で働く変な人(1)(1/3 ページ)

» 2005年08月17日 11時08分 公開
[岡田有花,ITmedia]

 「はてな」という名の小さな会社がある。ネット企業なのに紙と箱で進行管理し、社内会議はポッドキャスティング配信。オフィスがあるのに図書館で仕事したりする変な会社だ。そこで働く“変な”社員を読み解く3回連載。第1回は、社長夫人の近藤令子さん。

 渋谷駅から徒歩15分。閑静な住宅街の一角にある、ベンチャーインキュベーション施設。入り口で「取材で……」と言うだけで、警備員は行き先を言い当てる。「はてなさん、ですよね?」

photo はてながオフィスを構える、NTTコミュニケーションズのベンチャーインキュベーション施設

 今やネット誌だけではなく、一般紙やテレビの取材も殺到するネット企業「はてな」。求人広告を出せば一流企業のプログラマーの応募も相次ぐ。京都の真ん中で生まれた小さなネット企業が、渋谷の片隅で旋風を巻き起こす。

 4年前、こんな会社になるとは、誰も予想できなかった。社長の妻、近藤令子さん(35)でさえも。

 「うまくいくはずがない」――2000年の末、京都は木屋町のアイリッシュパブ。カメラマンだった近藤淳也さんが突然「ネットビジネスを思い付いた」と語り出した。「人の質問に人が答えるサイトを作って、起業したい」。恋人だった令子さんはあっけにとられ、反論した。「儲かると思えない」

 彼は引き下がらなかった。絶対にうまくいくと、力強く信じていた。2人は翌2001年5月に結婚。同7月、はてなは産声を上げる。

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 2人の出会いはその3年前。1998年の夏だった。「新しい自転車レースを企画している。話を聞きたい」。当時、無名の京大生レーサーだった淳也さんから届いた1通のメールが、すべての始まりだった。

 令子さんは、自転車レース業界ではちょっとした有名人。同志社大学の社会人コースで学びながら、自転車レースの司会やライターとして活躍していた。「私で力になれるなら」――彼を自宅に招き、相談に乗った。

 淳也さんは、信州を舞台にした自転車レース「ツール・ド・信州」を立ち上げたいと熱く語った。「若いのにしっかりして、“目力”のある人だと思った」――令子さんは振り返る。

 再会したのは、1カ月後の自転車レース。元気にあいさつした淳也さんの姿が、レース後見えなくなっていた。レース中に転倒して病院に運ばれていたのだ。令子さんは心配し、淳也さんに電話をかけた。「腕の骨を折った。安静にしていないとダメらしい」――そう言って退屈そうな淳也さんと、メールや電話のやりとりが始まった。やがて2人は会うようになる。

 折りしも自転車イベントの季節。淳也さんがカメラ好きと知っていた令子さんは、レースに出られない彼に、「写真を撮って欲しい」と頼んだ。2人でレースに出向き、令子さんが記事を書き、淳也さんが写真を添える。淳也さんはやがて、プロ写真家と大学院生の二足のわらじを履くようになる。「意気投合したんだと思います」――そう言って令子さんは少し照れ、そのころ付き合い始めたと話す。

 2000年。淳也さんは大学院を中退して写真家専業に。2人は2LDKの古いアパートで、一緒に暮らし始める。

 淳也さんが「人力検索はてな」の構想を語りだしたのは、その年の冬のことだった。

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